平安の祈り

瞑想に関する本を読んでいて、その中に「平安の祈り」が紹介されていた。

 

神様 私にお与えください。

自分に変えられないものを 受け入れる落ち着きを、

変えられるものは 変えてゆく勇気を、

そして二つのものを 見分ける賢さを

 

この平安の祈りを最初に聞いたのは、もう20年ほど前になる。 

アルコール依存症の友人が教えてくれた言葉で、AA(アルコホーリクス・アノニマス)で、会の始まりや終わりで皆でよく唱えるのだと語っていた。

アルコール依存からゆっくりと立ち直り始めた友人が、明るい希望に満ちた顔で話してくれたことを思い出した。

良い言葉だと思ったけれど、当時はそれ以上の思いはなかった。

今改めて読み返すと、奥の深い言葉だなと感じる。

私たちは、変えられないものを変えようとして苦しむ。

変えられると知りながら、なぜか変えることが出来ない。

 

変えられないものと、変えられるものを見分ける賢さは、どのようにすれば身に着くのだろう。

この言葉を教えてくれた友人とも今は音信不通だ。

アルコール依存症に苦しむ人たちが、この祈りの言葉を、どんな思いで唱えていたのかと思うと、胸が塞がれる思いがする。

 

 

 

少しこころを休ませよう

吉野で仕事を始めて4年、いろいろな意味で疲れが出始めたようだ。

突っ走ってきたから、余分なものを持ちすぎたのだろう。

仕事が増え、知り合いが増え、荷物と責任が増えた。

社会と関わる時間が増えて、自分を労る時間が減った。

人の心配をして、自分の心配をするのを忘れていた。

 

先週、ビオダンサで感情を解放してから、自分の中の無理をしている部分が徐々に明確になってきた。

このあたりで、少しこころを休ませよう。

身体を労わろう。

身体は、心地よい場所を選んで静かに過ごせばいい。

しかし、こころを休ませる場所は、自分の中にしかないから

自分の中に、自分を休ませるスペースを作ろう。

これが、思っているより難しくて、すぐに不安が心を支配する。

物理的に溜まっている仕事はどうしようか。

納期が近いな。プロジェクトを走らせないと。

呼吸の合間、合間に不安の種があるのが分かる。

今回は少し根が深い。

 

スティーヴン レヴァインの「余命一年…だとしたら」を読み返す。

自分の余命を後一年だと思って生きてみたら、

私は何を手放すのだろう。そして何を残すのだろう。

何を目指すのだろうか。どこへ行くのだろう。

ゴールデンウィークの間に考えてみよう。

でも、これではこころを休ませることはできないな。

 

気分を変えて、近くの公園に名残のさくらを見に出かける。

ワープロとスマートフォン

Xperiaを発売日に購入してから24日が過ぎて、やっと使いやすく、手になじむ道具になってきた。

ガラパゴス携帯と呼ばれる機種からXperiaに機種変更をして、いろいろと使いこなして行くことが楽しくて、毎日インターネットで情報を収集しながら、ソフトを入れ替えている。

ふっと二十数年前、ワードプロセッサーからパソコンへの移行期を思い出した。

もう記憶が定かではないが、一番最初に使ったワープロはbrohterのピコワードで、画面も一行が表示されるだけで今から考えると実用には耐えないのかもしれないけれど、楽しくずっとワープロに向っていた。

ワープロは、パソコンと違い文章作成に特化した機能で日本に優しく高齢者の方にも親切で急速に普及した。

そのころ特別なスキルがないと使いこなせないパソコンに、一太郎というワーブロソフトが登場して、パソコンで文章が作成出来ると言うことで、一太郎搭載のパソコンが売れ始めた。

今はワープロの販売は中止されてすべてパソコンになってしまった。

日本語という文化を理解し、使う人に優しかったワープロが、グローバルという名のパソコンに移行したとき、パソコン大好きの私はとても喜んだが、多くの中高年や機械音痴の人たちは取り残されていった。

iモードなどの携帯メールは、パソコンに弱い人にも使いやすいようで、過疎化の進む吉野地方でも中高年の方は、パソコンのメールに変わって携帯のメールを使う機会が多い。

私のイメージでは、使いこなさなければ何も出来ないスマートフォンは、黎明期のパソコンを思い出す。ガラパゴス携帯と呼ばれる現在の携帯にワープロの面影を見る。

世界で通用しないと言われる日本の携帯は、いずれ世界を目指すためにグローバル化していくのだろうが、使いやすくて、日本語を理解している、日本が育てた携帯の文化をすてないで欲しいと思う。

先日総務省が、携帯端末のSIMロックの在り方についての公開ヒアリングを行ったが、もしSIMロックが解除されることが起こると、一気にスマートフォンに移行する可能性がある。

携帯からスマートフォンへの移行は、ワープロからパソコンへの移行期に似ているような気がしてならない。この移行期に多くのワープロユーザーが取り残されたことを思い出し欲しい。私は今でも文章を作るだけなら、ワープロは最高の道具だったと思っている。

赤いケースを付けたXperia

Xpeiaで撮影したさっちゃん