FUJIのX-E1はシャープさの中に優しさを感じる。
レンズがいいのだろうか。温もりさえ写る気がする。
光と風の交わる場所で
今回でこの蓮畑の撮影は4回目になる。
自分の写真を見ていてもどかしく、しっくりと来ない。
恋い焦がれていた人にばったりと出会って、どうして良いか分らずに右往左往しているようだ。
今回は勇気を出して、思いを打ち明けて見たが、どうも上手く伝わらなかったようだ。
私の思い込みの強さに、相手が引いてしまったのかもしれない。
私にとっての良い写真とは、写し取った写真の結果だけではなくて、その出会いのプロセスが、撮影までのこころの有り様が大切になる。
私の写真は、私と光景の微かな、しかし、愛おしいこころの交流から生れる。
私の思いと光景の思いとが上手く重なるとき、素敵な写真を撮ることが出来る。
そこに日常を超えた、私だけの光を見ることができる。
この蓮の写真を見ていて、自分の写真に対する課題の多さに気づかされる。
このとても楽しみな修行は、まだまだ続きそうだ。
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吉野川の河畔で久しぶりのバーベキューがあり、場所取りに出かけた。
午後2時の河原は焼け付くようで、少しめまいがしそうだ。
メンバーがまだ来ていないので、少し河原を歩く。
草と石の間から黄色い花が見える。
ぼ~と眺めていると、その乱雑な風景と自分との距離が縮まっていく。
風景と心が一つになっていくような感じがした。
カメラを構えてシャッターを押す。
まとまりの無さが美しい。
写真は多様なもの、雑多なものを同じ平面に映し出す。
空と川面を同時に映し出す。
葉っぱと空を同時に映し出す。
時間と空間を同時に映し出す。
肉眼では箇々に見える事柄も、
ファインダーの中では同時に見ることが出来る。
同時に感じることが出来る。
これがカメラの可能性かもしれない。