はつなつの風

打ち合わせの時間より少し早く到着したので、車を止めて道ばたを散策する。

厚い雲間から朧気な太陽が顔を出し、温かい光が足下に届きはじめる。

やさしい風が初夏の訪れを伝える。

奈良を愛した歌人、会津八一の歌

「はつなつ の かぜ と なりぬ と みほとけ は 
                をゆび の うれ に ほの しらす らし 」

(初夏の 風となりぬと み仏は を指のうれに ほの知らすらし)

これは、「初夏の風になったのだと、み仏は、小指の先で感じておられるようだ」というような意味で、弥勒菩薩の指先の美しさに、初夏の風を感じた様子を会津八一が上手く表現している。

私はこの歌が好きで、初夏になるとよく思い出す。

中宮寺弥勒菩薩を見たときの歌と言われているが、み仏の優雅な小指の先に初夏の風を感じる感性はすばらしい。

豪放磊落で有名な会津八一が歌人であるとき、限りなく繊細でたおやかな感性を持っている。

私もカメラを持ったときくらい、八一のような感性を持ちたいものだ。

若い頃に出会った会津八一の歌が、いま心に染み渡る。

遷都1300年祭で賑わっている奈良で、会津八一の名を聞かないのは不思議だ。

鈍い空の色もまた美しい。

雨の日に聴くRokia Traore

静かな雨が吉野を覆い、さくらの消息も絶えかけている。

こんな日は、アルヴォ・ペルトを聴きながら仕事をすることが多い。

しかし、先日参加したビオダンサのリズムと気配が体内に色濃く残っている。

祈りの音楽ではなく、思わず身体が動いてしまう音楽を。

雨の日に砂漠を思うのも楽しいかもしれない。

DESERT BLUES2 というCDで知ったRokia Traore

魂の根源を喚起するリズム。

リズミカルな身体性。

命に近い音楽。

アフリカでは、音楽は芸術ではなく、生活であることがわかる。

感動のビオダンサ

用事で参加できない私のパートナーに変わって、ビオダンサに初めての参加。

「ビオダンサとは、音楽・リズム・感情によって、人の統合と成長を促すシステムです。
ビオダンサの目的は、個人の発達と生きる喜びを深めることにあります。
 ビオダンサ・システムの基盤にあるのは、生命の保護と進化を支える普遍的な法則です。」
とBIODANZA JAPANの説明にあります。

まったく説明どおりで、私はとても深く心の深淵から感動し、身体の細胞の核から喜びがあふれてくるのを感じました。

身体表現の苦手な私でも、開始から数分ですべての不安が消し去り、自分の感覚と素直に向き合うことが、知らず知らずの間に身体は動いていました。

そして一部の最後では、私はかってないほど、自分の感情を解放することが出来ました。

自分の感情を解放して、これほど感動の涙を流した記憶はありません。

ほとんど号泣に近かったような気がします。

 

悲しみの涙ではなく、

人と繋がることの、

人であることの、

人を信頼することの、

人間の根源にある喜び。

身体の細胞一つ一つが、はじけるように喜んでいた。

年齢も性別も超えて

やさしい人たちにハグされながら、私は自分の感情に素直に、

流せるだけの涙を流した。

流した涙が私の心を洗う。

人に抱かれながら声をあげて泣いたことは、始めてかもしれない。

  

人と繋がることを恐れず、人と向き合える喜び。

自分の感情を抑えることもなく

泣くことも笑うことも、見つめあうことも

ハグすることもすべて受け入れてくれるビオダンス。

 

なんと素晴らしいワークショップでしょう。

この文章を書きながら、身体も心も、心地よく振動しています。

今日会えたすべての人たちに、ビオダンサに深く感謝します。