写真から分かること

友人からのメールで、草花の写真が多いことに気づいた。

足下を見て歩く時間が増えたのか、小さな草花の写真が多い。

 

私にとって、写真は感性の杖。

私とは何か、世界とは何かを写真に尋ねてきた。

 

まず、写真が感じ、変わり始めて、自分自身がそのことに気づく。

自分が変化していくとき、写真に写る世界が変わる。

写真を見る感性と感情が変わるとき、自分の変化に気づく。

 

何が変わろうとしているのか、

どう変わろうとしているのか、

無理に言葉を与えることなく、

ゆっくりと感じていこう。

 

努力の方向

 自分が努力をしているのに、報われないと感じるとき、

二つのことを考えてみる。

 

一つは、努力の量が足らないこと。

努力の量は、時間をかけることで解決できる。

 

もう一つは、努力の方向が間違っていること。

これを解決するのは少し難しい。

業績をあげるために、大きな神棚を作り、たくさんの神様を祀っている人を知っている。

幸せになるために、決まった言葉を毎日数千回唱えている人がいる。

何かが違うと感じる。

  

努力の方向は、きっちりとした目標を持つことから始まる。

きっちりとした目的を持ちながら、どこか遠回りしていると感じるとき、

その方法ではなくて、目的自身を疑ってみる。

本当に自分が目指しているものではない可能性がある。

夢を諦めないでという言葉をよく耳にするが、

自分自身の夢を持つことの方が難しいのかもしれない。

 

目指さない生き方、求めない生き方を思うとき、

これもまた夢かもしれない。

 

 

足の感覚

今朝の散歩は、足裏の感覚を味わいながら歩く。

アスファルトの道路。

土の感触。

草を踏む。

水溜り。

足裏に伝わる小さな石。

些細な起伏を感じる。

厚い靴底から、繊細な感覚が伝わってくる。

身体はいつも、些細な信号を感じているのだと

改めて、感心した。

 

雨のしずくが光っている。 

足元の草花が美しい。

世界はいつも足元から始まる。