1本のフィルムで12枚の写真が撮影出来る。
久しぶりにフィルムカメラを持ち出す。
デジタルカメラだと、ためらいなくシャッターを押すけれど
12枚と限定されると、立つ場所、光、すべてに慎重になる。
ゆっくりと出来る場所で、こころ行くまで風景と話をする。
もう少し右、ちょっと左
消滅点は中心から少しずらして
道に滲む電柱の陰
ゆっくりと去っていく雲
とても愛おしくて贅沢な時間。
光と風の交わる場所で
少し前に住んでいた山村では、誰も植えていないのに咲いている花や木々を「のらばえ」と呼んでいる。
お茶なども、のらばえの木が多く、新芽を集めてお茶にすることも出来る。
手入れのされていない道ばたや畑に、のらばえの花がかわいく咲いている。
しかし、人に管理されていない「のらばえ」はあまり良い意味では使われない。
山村では、畑に「のらばえ」があることは恥ずかしく、畑や家の周りには、雑草は生えていない。
野良とは、野原や野のことを指すが、「のら」と書けば、怠け者や放浪者の事を指す。
野良犬や野良猫は、管理されていない、どこにも所属していない、本来ならば属していて当然というニュアンスがある。
だから野生の動物は、野良イノシシとか野良鹿、野良狸とは言わない。
「のらばえ」という言葉を山村の人が使うときには、微妙なニュアンスを感じる。
どこかに属さないと生きていけない、地域に属さない人を認めにくい、山村ならではの言葉のような気がする。
10年間どっぷりと浸かった山村を出て、3年。また「のらばえ」に戻ったような気がする。
属さない自由と属さない寂しさ。
野良に生えて、野良に映える。
やはり、私はのらばえでいい。