一期一会の12枚

1本のフィルムで12枚の写真が撮影出来る。

久しぶりにフィルムカメラを持ち出す。

デジタルカメラだと、ためらいなくシャッターを押すけれど

12枚と限定されると、立つ場所、光、すべてに慎重になる。

 

ゆっくりと出来る場所で、こころ行くまで風景と話をする。

もう少し右、ちょっと左

消滅点は中心から少しずらして

道に滲む電柱の陰

ゆっくりと去っていく雲

とても愛おしくて贅沢な時間。

光の移ろい

晩冬の繊細で直線的な光が

初夏のおおらかで包み込むような光に変わっている。

毎日、同じ場所で、同じように写真を撮っている。

ある日、パッと光が変わって見える。

まるで違う場所を歩いているかのような錯覚に陥る。

こんな日は、何を見ても、どこを見ても

美しくて、いとおしく感じる。

のらばえ

少し前に住んでいた山村では、誰も植えていないのに咲いている花や木々を「のらばえ」と呼んでいる。

お茶なども、のらばえの木が多く、新芽を集めてお茶にすることも出来る。

手入れのされていない道ばたや畑に、のらばえの花がかわいく咲いている。

 

しかし、人に管理されていない「のらばえ」はあまり良い意味では使われない。

山村では、畑に「のらばえ」があることは恥ずかしく、畑や家の周りには、雑草は生えていない。

野良とは、野原や野のことを指すが、「のら」と書けば、怠け者や放浪者の事を指す。

野良犬や野良猫は、管理されていない、どこにも所属していない、本来ならば属していて当然というニュアンスがある。

だから野生の動物は、野良イノシシとか野良鹿、野良狸とは言わない。

 

「のらばえ」という言葉を山村の人が使うときには、微妙なニュアンスを感じる。

どこかに属さないと生きていけない、地域に属さない人を認めにくい、山村ならではの言葉のような気がする。

10年間どっぷりと浸かった山村を出て、3年。また「のらばえ」に戻ったような気がする。

属さない自由と属さない寂しさ。

 

野良に生えて、野良に映える。

やはり、私はのらばえでいい。