少し前に住んでいた山村では、誰も植えていないのに咲いている花や木々を「のらばえ」と呼んでいる。
お茶なども、のらばえの木が多く、新芽を集めてお茶にすることも出来る。
手入れのされていない道ばたや畑に、のらばえの花がかわいく咲いている。
しかし、人に管理されていない「のらばえ」はあまり良い意味では使われない。
山村では、畑に「のらばえ」があることは恥ずかしく、畑や家の周りには、雑草は生えていない。
野良とは、野原や野のことを指すが、「のら」と書けば、怠け者や放浪者の事を指す。
野良犬や野良猫は、管理されていない、どこにも所属していない、本来ならば属していて当然というニュアンスがある。
だから野生の動物は、野良イノシシとか野良鹿、野良狸とは言わない。
「のらばえ」という言葉を山村の人が使うときには、微妙なニュアンスを感じる。
どこかに属さないと生きていけない、地域に属さない人を認めにくい、山村ならではの言葉のような気がする。
10年間どっぷりと浸かった山村を出て、3年。また「のらばえ」に戻ったような気がする。
属さない自由と属さない寂しさ。
野良に生えて、野良に映える。
やはり、私はのらばえでいい。
最近のノブさんの撮る草花の写真。
日差しの当たっていない写真に引き付けられます。
携帯で見ても、繊細さ、奥行が伝わってくるかのようです。
そのなかで、一枚目の写真を見ていると、つい‘命’と呟きたくなります。
日差しの当たっていない状態を、写真上に再現するのは難しいです。
山々は、命の力が溢れています。
最近の山のエネルギーはすごいです。