荒川修作さんのこと 

荒川修作さんが亡くなったという記事を見た。

73歳と書かれていた。そうかと思ったけれど、草間弥生さんや元永定正さんが80歳を超えたので、若い人のような気もする。

私が最初に荒川さんの作品を見たのは、30年ほど前、大阪の国立国際美術館だったような気がする。

荒川さんの代表作「意味のメカニズム」の奥付をみると1988年3月になっている。

そのころは大阪に住んでいて、現代美術が好きな私たちは、よく美術館に出かけた。手にはプレイガイドジャーナルを持って。

前衛・具体などから少し遅れた世代の私たちだけど、アンデパンダン展などが好みで、現代美術の発するエネルギーがとても刺激的だった。

美術館に行くと、ウォホールやリキテンシュタインなどの作品があふれ、遅れてホックニーがやってきたような気がする。

ナム・ジュン・パイクのビデオアートに驚いたのもその頃かもしれない。

寺山修司のレミングを見たのも、マヤ・デーレンを見たのもその頃だと思う。

自分の感性が全開し、世界をすごい速度で吸収していた時代。

今は遠い思い出で、年寄りの繰り言のようだ。

吉野地方に住んでいると、歴史と自然には恵まれているが、新しい感性と出会うことが少なくなる。

自然から教えられることもたくさんあるが、音楽や美術から得られるものも多い。

新しい感性に飢えているのかもしれない。

今年は、少し街にも出かけてみようかと思う。

しかし、荒川修作とマルセル・デュシャン。意味も理由もなく、ただ好きだった。

がむしゃらに好き、意味もなく好きは、若さの特権なのかな。

アンマの言葉

twitterでアンマをフォローしている。

毎日、日本語に翻訳されたアンマの言葉が続く。

どの言葉も素敵で、素直にこころに沁みる。

数日前に届いた言葉

「解決しなくてはならないのは、現在であって、過去ではありません。
過去に起こったことよりも今起こっていることの方が、ずっと大切です。
今この瞬間しなくてはいけないことをすることによってのみ、疑問や問題はすべて終止符を打ちます」−アンマ

分かっていて実行が難しい。いや分かっていないのかもしれない。きっと。

私たちは、数分前や昨日など過去に起こったことを考えて、反省し、未来に繋げようとする。

過去に起こったことの問題点をいつも考えている。

努力が足りなかったのか、運が悪かったのか、悪い霊が付いていたのか、友達が悪いのか

四柱推命を見て、手相を見たりもする。

しかし、もう過去はない。

より良い未来を得るために、無理な努力をし、トイレをきれいにして、除霊し、神様にお願いする。

時には、ポジティブな言葉を発し続ける。

しかし、いつも未来はない。

 

過去は過ぎ去った現在であり、未来はまだ来ていない現在だ。

いつもあるのは、現在だけ。

このことをアンマの言葉が改めて教えてくれる。

疲れたと感じるとき、状況がつらいとき、

いつも私の心は、過去か未来にある。

私が現在と共にあるとき、私はもっとも充実している。

でも現在に生きることは、何故か難しい。

 

上手く活用できないtwitterだけど、アンマの言葉が毎日読めることがとても嬉しい。

「周りの状況に否定的に反応するとき、問題が生まれます。
言いかえれば、問題の根幹はあなた自身の内にあるということです」−アンマ

「奇跡に執着する人は、心の刺激を求めていて心というレベルを超えられずにいます、
——もちろんそれは究極の境地ではありません」−アンマ

「目指すべきは、外界の状況について、自分の心に解釈させたり批評をさせたりしないことです。
でもわたしたちの心は弱いから何かと判断しがちであって、いつの間にか状況の餌食となり迷妄に囚われてしまいます」−アンマ

 

道の両側に花が咲いてると嬉しい

 

シャスタ・デイジーは光の方を向いて咲く

写真の原点

四角形の画面でモノクロームの写真は、自分の原点のような気がする。

十数年ぶりに撮影した写真を見ていると、またここへ戻ってきたという思いがする。

デジタルカメラにはないフィルムカメラの世界。

めんどくさくて、重くて、時間がかかる、愛おしい世界。

ゆっくりと見下ろすファインダーに、世界が朧気に姿を現す。

ファインダーに現れる世界に導かれるように、身体が移動する。

世界が私に向って開かれてくる。

自分が消えていく。

私が消えるほどに、世界は美しく語りはじめる。

ただ世界だけが写っている写真と出会いたい。

今年は、少しずつフィルムでも撮影しようか。