農への思い

熊野の友人が二人、久門太郎兵衛さんの所へ遊びに行った帰りに我が家に寄ってくれた。

久門太郎兵衛さんといえば有機農法の先駆けで、多くの農業指導者に影響を与えた方で、二人は、大阪にいるとき久門さんから農業を習っていた。

私も自然農で知られる川口由一さんに憧れ、影響を受けた時期もあったが、どうも農業には馴染めなかった。東吉野の山村に移り住んだときも、熱心に野菜を作ることをせず、あまり土に触れることもなかった。

馴染もうとして馴染めない、農の世界。私の周辺には就農者も多く、機会はいくらでもあったように思う。

吉野へ引っ越しをしてから、仕事も忙しくなり農のことを思うこともほとんどなくなったが、いつもこころの奥底では、農の存在を意識している。

命とか、自然とかを考えるときにいつも農が頭をかすめる。

自分の生き方を農業で実践している人に、強いあこがれを感じる。

いつか農と強く関わることがあるのだろうか。

農だけがすべてではないことは、分かっているのだけれど。

私には、私の出来ることがある。それは、農ではないのだけれど。

農は私の中の永遠の保留のような気がする。

 

土曜日は、夏のような日差しにも関わらず、花たちを美しく飾る光で満ちあふれていた。

光と風と雲と

数年前、写真を思考の延長線上に考えていた。

写真は表現の手段で、私は表現者として、風景や被写体の前に立っていた。

しかし、この1年ほどで写真が変わってきている。

多くの出会いと気づきが、私を変え私の写真を変える。

最近は、まず楽しい。そこに私がいることが嬉しい。

カメラを手にしていると、光と風と雲が挨拶をしてくれる。

青い空に、白い雲。それだけで幸せな気分にある。

そこに花でも咲いていたら、天国にいるのではないのかと錯覚してしまう。

私の写真から、理屈っぽさが抜けていく。

ただ好ましい感覚だけが残る。

 

OSHOの理想とする人間像に「ゾルバ・ザ・ブッダ」がある。

大地がもたらす豊かさを喜び、この世が与える楽しみに歓喜して踊る人間ゾルバ。

内面的な静けさに溢れ、自らの中にくつろぎ、静寂の喜びとともにある人ブッダ。

この両面が統一された人間が「ゾルバ・ザ・ブッダ」だ。

人生を喜び踊り、内面の静寂にくつろぎ、愛に溢れるゾルバ・ザ・ブッダ。

写真を撮り続けることで、少しずつでもゾルバ・ザ・ブッダに近づきたい。

和らぎの光 恵古箱さん再訪

梅雨の走りのような空模様。

仕事の途中で車を止めて、少し田んぼを眺める。

田植えが終わった田んぼに、雲が写る。

道を行く車の騒音は雲に溶け、

初夏の静けさがゆるりと訪れる。

 

先日お伺いした恵古箱さんに少しだけ立ち寄る。

曇り空の光が優しく部屋全体を包んでいる。

すべてが静けさに満ちて、古道具たちもリラックスしている。

どこを見ても、何を見ても、安らぎと和らぎに満ちている。

こんな光の日は、何も考えずに、こころの力を抜いて過ごしたい。

約束まで後30分。思いを残しながら、ゆっくりと車に乗った。

 恵古箱さん、またお邪魔してしまいました。

これからもよろしくお願いします。