禅マインド・ビギナーズ・マインドと写真

鈴木俊隆師の「禅マインド・ビギナーズ・マインド」をゆっくりと一読した。

珠玉の言葉が、時に真摯に、時にユーモアを交えながら、淡々と語られている。

この本の内容は、読んだ人それぞれの生き方に呼応するように、変化するだろう。

経験者は経験者の読み方を、初心者は初心者の読み方をする。

しかし、どんな立場であっても、この本を批判的に読むと、時間を無駄にしてしまうだろう。

この本に書かれていることを、純粋に、全くの受容で、無批判で受け取るとき、この本は良き導き手になる。

 

本の最初に「初心者の心には多くの可能性があります。しかし専門家といわれる人の心には、それはほとんどありません。」と書かれている。

写真も同じだと思った。

写真を撮る私にとって一番難しく、必要なことは、いつでも「初心」でいることだろう。

写真には、多くの技術がある。しかし技術が被写体と出会う訳ではない。

自分が、初心の感性・初心の眼差しを持って世界と出会うとき、世界は新しい美しさを見せてくれる。

被写体に向うときにはいつも「初心」であることが大切だ。

どんな見慣れた、毎日通る場所でも、そこにあるときはいつも「初心」でいたい。

「写真にとって一番大切な技術は」と聞かれたら、これからは「初心であること」と答えよう。

 

本のあとがきに鈴木俊隆師の心温まるエピソードが幾つか書かれてる。

「ある晩、禅センターのホールで、受付をしていました。

老師と奥さんが出てきました。私は新入りで、緊張して座っていました。

老師は、微笑んでいわれました。

『グッド・ナイト』

それだけでしたが、それは私の人生を変えてしまいました。」

この部分を読み終えて、私は胸が一杯になって続きが読めなくなってしまった。

何と、素晴らしい出会いだろう。

何と素晴らし師だろう。

いい出会いは一瞬で人の人生を変える力がある。

この年になってもなお出会いを求めている自分がいて、このエピソードに感動したのかもしれない。

 

ゆっくりとした時間のために

 ゆっくりとした時間のために、ゆっくりとしたカメラを使う。

マニュアルの機械式カメラにモノクロのフィルムを入れる。

36枚の撮影が終わるのに、1週間ほど

モノクロフィルムの現像に1週間ほど時間がかかる。

だんだんとブログの更新が伸びていく。

一番最初に撮影した写真を見るのに、2週間もかかっている。

子供の頃カラー写真が高くて、フィルムを入れても簡単に撮影することが出来なかった。

写真屋さんで受け取った写真には、色々な季節の行事が写っていた。

 

写真には空気と光が写る。

光を横切る風が写る。

古いレンズ特有のフレアーが写真に拡がり、懐かしい時間が蘇る。

暖かみのある光と包み込まれるような空気。

優しく抱きしめられた感触が蘇る。

何時の日の記憶だろう。

この世に生まれる少し前のような気がする。

 

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習得できないものたち

覚えたい、習得したいと思いながら出来ないものが3つある。(本当はもっとたくさんあるけれど)

一つは将棋。詰め将棋や定跡の本を買って勉強しても、一向に上達の気配がない。

パソコンの初心者対象の将棋に負け続けている。いつも途中で投げ出してはまた振り出しに戻る。

次は、英語。これはパソコンを扱うときに必要になることが多いのと、もし外国に行くことがあれば役に立つかなという思いから。

この二つは、試行錯誤の末、私には独学では難しそうなので、ほとんど諦めてしまったが、まだ微かに心の底の方で燻り続けている。

将棋はいいとしても、英語は実務でも役立つので何とかならなものかと思っている。

そして3つ目が哲学やシュタイナー関係。

これは付き合いが長い。上二つよりも費やした時間は長いのに、ほとんどと言っていいくらい身についていない。話の中で出てくることもまず少ない。

しかし仏教や禅の本は、けっこう身に染みついていて、言葉の端々に登場するし、考え事をしているときに参考にしている。

 

どうして、習得できるものと出来ないものが在るのだろうかと考えたりする。

何か考え方が悪いのか、脳に適正があるのか。

習得出来る秘密があるのに、それが私にだけ明かされてないのか。

身体的なことが原因で習得出来ないものは、現世では無理なので諦めている。

一番がお酒。これは身体が受け付けない。次が音楽とダンス。これも生理機能の問題のような気がする。

 

私はよく、「欠点を克服している暇があれば、長所を伸ばそう」と言っている。

自分に足らないものを補っても、普通のレベルくらいにしかならないし、その割には時間を費やす。

長所を伸ばせば、自分の得意が増えて仕事にも結びつけやすい。

しかし、自分の長所を考えるよりも、短所や足らない部分を考えるいる方が得意のようだ。

自分のいいところを説明すると5分で済むけれど、短所や足らないところを話すと1時間では済みそうもない。

 

もう少し自分のいいところを見直さないと自分が可哀想な気がしてきた。

せめて10分くらいは話せるようにしたいな。

 

才能に悩むことがあっても、写真はいつも自分と共にある。

得意・不得意を超えて写真は私と共になる。

ほんとに好きなものは、習得するとか、勉強するとかの思いがないのかもしれない。