習得できないものたち

覚えたい、習得したいと思いながら出来ないものが3つある。(本当はもっとたくさんあるけれど)

一つは将棋。詰め将棋や定跡の本を買って勉強しても、一向に上達の気配がない。

パソコンの初心者対象の将棋に負け続けている。いつも途中で投げ出してはまた振り出しに戻る。

次は、英語。これはパソコンを扱うときに必要になることが多いのと、もし外国に行くことがあれば役に立つかなという思いから。

この二つは、試行錯誤の末、私には独学では難しそうなので、ほとんど諦めてしまったが、まだ微かに心の底の方で燻り続けている。

将棋はいいとしても、英語は実務でも役立つので何とかならなものかと思っている。

そして3つ目が哲学やシュタイナー関係。

これは付き合いが長い。上二つよりも費やした時間は長いのに、ほとんどと言っていいくらい身についていない。話の中で出てくることもまず少ない。

しかし仏教や禅の本は、けっこう身に染みついていて、言葉の端々に登場するし、考え事をしているときに参考にしている。

 

どうして、習得できるものと出来ないものが在るのだろうかと考えたりする。

何か考え方が悪いのか、脳に適正があるのか。

習得出来る秘密があるのに、それが私にだけ明かされてないのか。

身体的なことが原因で習得出来ないものは、現世では無理なので諦めている。

一番がお酒。これは身体が受け付けない。次が音楽とダンス。これも生理機能の問題のような気がする。

 

私はよく、「欠点を克服している暇があれば、長所を伸ばそう」と言っている。

自分に足らないものを補っても、普通のレベルくらいにしかならないし、その割には時間を費やす。

長所を伸ばせば、自分の得意が増えて仕事にも結びつけやすい。

しかし、自分の長所を考えるよりも、短所や足らない部分を考えるいる方が得意のようだ。

自分のいいところを説明すると5分で済むけれど、短所や足らないところを話すと1時間では済みそうもない。

 

もう少し自分のいいところを見直さないと自分が可哀想な気がしてきた。

せめて10分くらいは話せるようにしたいな。

 

才能に悩むことがあっても、写真はいつも自分と共にある。

得意・不得意を超えて写真は私と共になる。

ほんとに好きなものは、習得するとか、勉強するとかの思いがないのかもしれない。

“習得できないものたち” への4件の返信

  1. あかるさんは馬車馬のように好きなことをし、私はぬるま湯に入るように好きなことをする。
    どちらも素敵ですね。

  2. お久しぶりです~。
    将棋指されるのですね!
    わたしも6月から始めました☆
    また機会があれば一局お願いします^^

  3. こんにちは。
    将棋は始めたのではなくて、諦めたのですよ。
    あまりに上手くならないので。

    もう少し年を取ったらまた再開しようと思います。

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