今朝の思い

今朝は久しぶりにカメラを持って犬の散歩に出かけた。

初冬の光が美しく木々を包み込む。

足元の花にカメラを向ける。

花の存在が美しい。

霜にあたり、色が少し褪せて見える。

その有り様がこころに響く。

刻々と変化する朝の光と、

木々や草花を通して、

瞬間、瞬間に出会っていく。

今日よりも明日は、死に近い。

今の私に分かっているのは、この事だけだ。

年を重ねると、分かっていたことが分からなくなり、

当たり前のように思っていたことが、実は特別なことなのだと思えてくる。

呼吸をすること、生きていることが特別な事だとわかり、

他人と私、世界と私との違いが分からなくなってくる。

もう少しすると、息が止まること、死ぬことは当たり前の事だと分かるのかもしれない。

気づきのリトリート ティク・ナット・ハン師

敬愛するティク・ナット・ハン師の教えを元にした、気づきのリトリートに初めて参加してきました。

生駒ケーブルを乗り継いだ霞ヶ丘駅にあるヨガセンターは、紅葉の間に白い花が見えるとても美しい場所にありました。

朝のヨガセンター

 

今回のリトリートには、ティク・ナット・ハン師が主催するプラムビレッジ(ティク・ナット・ハン師のフランスにあるリトリート・センター)から、尼僧院長であるシスター・ジーナ、シスター・ソアイと日本人のシスター・チャイの3名が来られて、リトリートを指導をして下さいました。

微笑みを大切にするハン師の教えどおり、とても素敵な笑顔のシスター達で、その微笑みを拝見しているだけで、手放しで嬉しくなってきました。

リトリートの中心は、「気づき」についてで、英語では「マインドフルネス」と表現します。

扉に貼られた紙に「いき いきる いきをする」と書いてありますが、これを実践すること、このことを感じ続けることが「気づき」(マインドフルネス)です。

これは、私にとって非常に大切なことで、「気づき」(マインドフルネス)は、すべての瞑想、教え、豊に生きるための最も基本であり、そして最も大切なことであると、私は思っています。

ジョン・カバットジン氏の本に「気づき」(マインドフルネス)についての的確な説明があります。
「精神を知るうえでなくてはならないマスターキーであることからすると始点である。精神を形作るのにうってつけの道具であることからすると中心点であり、自由な精神に到達した崇高な証である点では終点である」

今回のリトリートはこの「気づき」(マインドフルネス)を得るための瞑想法と法話が中心でした。

シスター達のリトリートは優しくて、そして美しく、私の波立つこころをゆっくりと、ゆっくりと鎮めてくれます。

このリトリートには、外国人の参加者が多く、世代、人種を越えた人たちが集い、穏やかに進行しました。

歩く瞑想では、紅葉の下を、雑木林の光の中を、ゆっくりと、ゆっくりと気づきと共に穏やかに歩いて行きます。
多くの参加者がいるにも係わらず、自分一人で歩いているような気になり、ふっと前後を見ると、静かな長い行列を見ることが出来ました。

今回のリトリートを一言で表現すると「美しい」という言葉になります。

シスター達の歌声も、リラックス瞑想の時にシスターチャイが演奏してくれたバイオリンも、センターの木々も、人々の声も、理解できない英語にさえ美しさを感じることが出来ました。
すべての音がブッダの声のように愛しく聞こえてきました。

私は「気づき」(マインドフルネス)を様々な教えから得ることが出来ると思っています。
多くの教えは「気づき」(マインドフルネス)の重要さを、言葉を換えて、あるときは意識的に、あるときは無意識に語っています。
私自身「気づき」(マインドフルネス)が大切であることを知ってからティク・ナット・ハン師の本に出会いました。

ハン師の書物ほどこの「気づき」を美しい言葉で、分かりやすく書いてある本は初めてでした。ハン師が詩人で芸術家であることと関係しているのかもしれませんが、その言葉の、その表現の美しさが直接こころに届いてきます。

リトリートでは、歩く瞑想の時や集まりの時に歌を歌うのですが、その言葉とメローディーが美しく、生きることを賛美していました。

このリトリートに参加されたすべての皆様にこころから感謝します。
どうもありがとうございました。

来年春にティク・ナット・ハン師が来日されます。
東京ではリトリートを、京都では講話をされます。

来日の詳しい情報はこちらから

関西や各地で気づきの瞑想会が行われています。

興味のある方はインタービーイング・イン・ジャパンのホームページをご覧下さい。

息を吸って、私は静か
息を吐いて、私は微笑む
ティク・ナット・ハン

葛城山で知ったこと

友人に誘われて晩秋の葛城山へと登った。

ロープウェイを利用すると6分で葛城山へ

ゆっくり歩いても30分ほどで山頂に到達する。

冬の傾いた光に輝くススキが美しい。

ロッジの近くを通ると、数人の人の大きな声が聞こえてきた。

場違いな声で、最初は子供が叫んでいるのかと思ったほどだ。

どうも自己開発セミナーか何かが研修をしているようで、自分の目標などを大声で復唱しているようだ。

この人たちはどのように変わりたいのだろうかと考えながら、ススキの間を歩いていた。

光に輝くススキを見ていると、変わらなくてもいいのだよとささやく声が聞こえてきた。

そうか、変わらなくてもいいのか。

そのままでいいのか。

そのままでいいということが、ストンと腑に落ちた。

そのままでいいと、知っていたけれど

知っているを超えて、少し分かった気がした。

ふ~ん、ふ~ん、そうか、そうか、

そのままか、そのままね。

そのままを味わいながらゆっくりと歩いた。

傾く光が木漏れ日となって美しい陰影を作る。

冷たい風に背中を押されながらロープウェイの駅に着いた。

夕方の空に月が輝いていた。

   

今日は、とても大切な友人panaさんの誕生日。

panaさんにふさわしい光の一日でした。

誕生日おめでとう。いつもありがとう。