自分の情報

外のことを知る方法はたくさんある。

私たちは、洪水のような情報の中に身を置いて日々を送っている。

そしてそのことに疲れたりする。

 

しかし自分を知る方法をいくつ知っているのだろう。

自分の心の情報はどのように処理しているのだろう。

文明が発達して、世界中の出来事がリアルタイムに分かる。

しかし自分を知る方法は、あまり発達していないような気がする。

自分のことよりも外のことに費やす時間が多いのだろう。

外の情報に触れる時間の10分の1を自分の内面に向ければ、自分の内面が劇的に変わるような気がする。

100分の1でもいいのかもしれない。

 

写真を撮るときが、一番自分と向き合っているような気がする。

 

散歩の時間

この土曜、日曜の朝は、霜が降りて空気が透明で気持ちが良かった。

犬たちとの散歩の合間に写真を撮る。

写真を撮るときは、言葉を捨てて、感覚で世界と出会う方がいい。

ふっと感じたら、気軽に挨拶を交すように撮影する。

咲くという言葉を使わずに、枯れるという言葉を使わずに、花を見る。

言葉を使わずに花を見ると、いつもとても美しい。

その時々のその瞬間がとても愛おしい。

今朝の思い

今朝は久しぶりにカメラを持って犬の散歩に出かけた。

初冬の光が美しく木々を包み込む。

足元の花にカメラを向ける。

花の存在が美しい。

霜にあたり、色が少し褪せて見える。

その有り様がこころに響く。

刻々と変化する朝の光と、

木々や草花を通して、

瞬間、瞬間に出会っていく。

今日よりも明日は、死に近い。

今の私に分かっているのは、この事だけだ。

年を重ねると、分かっていたことが分からなくなり、

当たり前のように思っていたことが、実は特別なことなのだと思えてくる。

呼吸をすること、生きていることが特別な事だとわかり、

他人と私、世界と私との違いが分からなくなってくる。

もう少しすると、息が止まること、死ぬことは当たり前の事だと分かるのかもしれない。