今年のこと、写真のこと

今年は例年になく写真を撮った。

見て下さる方や、写真の話が出来る友人達に恵まれた1年だった。

写真は鏡のように、自分が変化すると写真が変る。

写真が変ってから、自分の変化に気づくことも多い。

春にビオダンサと出会ってから、また写真の質が変った。

写真に対する気持ちの入り方が違うような気がする。

より深く風景に寄り添うようになれたのかもしれない。

 

そして昔から欲しかった、念願のフィルムカメラを手にした。

今から36年ほど前に製造された機械式のカメラで、コンパクトで撮影がしやすい。

私の手に届くまでに、何人の人が使い、どのような時間を過ごして来たのかと思うと、少し胸が熱くなる。

 

下の写真は、このフィルムカメラで撮影したもの。

最近のデジタルカメラに慣れた目には、解像度も低くどこか頼りなく写る。

しかし、このフィルムカメラで撮影した写真を見ていると、なぜかこころが安らぐ。

毎日、数カットずつ撮影していたので、最初の写真は1ヶ月ほど前のものだ。

現在の風景を撮っているのにどこか懐かしい感じがする。

 

今年1年ブログを読んで下さってどうもありがとうございます。

見て下さる方がいるから、このブログを続けていくことが出来ます。

本当に感謝しています。

来年はもっと更新の期間が長くなるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。

 

混沌と調和

写真には一度にたくさんのものが写る。

光と影と風と雲と、

草と花と雫と空気と静けさが同時に写る。

この混沌とした有り様の中に、調和がある。

写真を撮っていると、世界がすべて繋がっていることに気づく。

 

木と雲があるわけではない。

木があるとき雲もある。

木と雲はお互いに影響し合いながら、

光に響き合いそこに存在する。

自分だけで存在するものや

変化しないものはない、ということに気づく。

どんな世界も調和していることに気づく。

写真の中では、混沌と調和は同じ意味なのかもしれない。