混沌と調和

写真には一度にたくさんのものが写る。

光と影と風と雲と、

草と花と雫と空気と静けさが同時に写る。

この混沌とした有り様の中に、調和がある。

写真を撮っていると、世界がすべて繋がっていることに気づく。

 

木と雲があるわけではない。

木があるとき雲もある。

木と雲はお互いに影響し合いながら、

光に響き合いそこに存在する。

自分だけで存在するものや

変化しないものはない、ということに気づく。

どんな世界も調和していることに気づく。

写真の中では、混沌と調和は同じ意味なのかもしれない。

自分の情報

外のことを知る方法はたくさんある。

私たちは、洪水のような情報の中に身を置いて日々を送っている。

そしてそのことに疲れたりする。

 

しかし自分を知る方法をいくつ知っているのだろう。

自分の心の情報はどのように処理しているのだろう。

文明が発達して、世界中の出来事がリアルタイムに分かる。

しかし自分を知る方法は、あまり発達していないような気がする。

自分のことよりも外のことに費やす時間が多いのだろう。

外の情報に触れる時間の10分の1を自分の内面に向ければ、自分の内面が劇的に変わるような気がする。

100分の1でもいいのかもしれない。

 

写真を撮るときが、一番自分と向き合っているような気がする。

 

散歩の時間

この土曜、日曜の朝は、霜が降りて空気が透明で気持ちが良かった。

犬たちとの散歩の合間に写真を撮る。

写真を撮るときは、言葉を捨てて、感覚で世界と出会う方がいい。

ふっと感じたら、気軽に挨拶を交すように撮影する。

咲くという言葉を使わずに、枯れるという言葉を使わずに、花を見る。

言葉を使わずに花を見ると、いつもとても美しい。

その時々のその瞬間がとても愛おしい。