レトロということ

日曜日に、吉野町商工会青年部が主催するレトロカーフェスティバルが開催された。

懐かしい車や私が生れる前の、とても古い車もあった。

殊更古いモノがいいとも思わないが、良いものは古くても良いのだということを改めて認識する。

一目見て、美しいという言葉が浮かんでくる車がある。

曲線が官能的で、存在の仕方がとても有機的なのだ。

 

「ナイン」という映画のなかでも、ブルーグレーのアルファ・ロメオ ジュリエッタスパイダー

で海岸線を走る去るシーンがある。

ため息が出るくらいに美しい。

 

車のデザインが人に近いという気がする。

最近は無理をしてまで手に入れたいという車が少ない。

車が人から遠ざかり、機能に、企業に向いているような気がする。

私たちは、何を得て何を置き去りにしたのか。

その答えがレトロカーフェスティバルにあるような気がした。

 

ライトウェイトオープンカーの幌を明けて、夜明けの海岸線を走る抜ける。

大型のコンパチブルなら、ルート66をひたすら走り続けるのもいい。

仕事のためや家族のためではなくて、自分のためだけの車があっても良いと思った。

 

 

 

吉野の杉

吉野に住んでいても、樹齢200年以上、目通りで直径2mを超える杉に出会えることはまずない。

しかし川上村には、大径木の木が存在している。

ケヤキなど雑木の古木を見た時に感じる生命感のようなものとは違う、

潔さのようなものが感じられる。

人工林として植林され、気の遠くなるような時間と、人の思いを経た木の厳かさがある。

朝の光に立つ杉に、木漏れ日が美しい。

木目の通り方、色つや、香りが古来より日本人に愛されてきたのだろう。

泰然自若としたその立ち姿が素晴らしい。

日本人が求めた、人の心のありように似ているような気がした。

 

 

 

 

海の近くの町

石原吉郎の「海を流れる河」の影響かもしれないが、

海と河の交わる汽水の町が好きだ。

 

空の下、河口が大きく拡がり、海へと流れ込む。

河の音が、海と交わる。

微かに波の音が聞こえる。

 

長い旅を経た山の水達は、ゆっくりと、ゆっくりと海水に溶け始める。

ここでは、すべてが遙かに遠い。

いつか私の息が途絶えるとき、

私の意識もまた、ゆっくりと大きな意識に戻っていくのだろう。

河の水が海に戻っていくように。

何故かすごく、ありがたいことだと思った。

 

人通りの途絶えた小さな町は、さび色に滲んで見えた。

ネガフィルムで撮影した。

時間までも写し止めたいと思ったから。

 

LEICA CL SUMMICORN-C