雨の恵古箱さん

少し冷たい雨が降った静かに日に友人と恵古箱さんへ遊びに行った。

先日から撮影場所に使わせて頂き、今回も友人の葛湯の撮影場所に使わせて頂いた。

恵古箱さんのおうちには不思議な力があり、このおうちで撮影すると、写真にゆったりとした空気感が写っている。

下の写真は、完成したポスター。

いろいろとお世話になりありがとうございました。

 

今月のおうちギャラリーは「ヒビシャツ」さん。

一目見ただけで欲しくなるシャツが並んでいる。

 

来月、恵古箱さんのおうちで個展をする友人が打ち合わせに訪ねてきた。

私の大切な友人でサンキャッチャー作家のPanaさん,

恵古箱さんの玄関に彼女のサンキャッチャーが飾ってある。

雨の鈍い光の中でサンキャッチャーがやさしく輝いていた。

 

Lady Day Billie Holiday

この二週間ほど毎日ビリー・ホリデイを聞いている。

10枚組のLady dayを順番にかける。

若く美しいビリーがいる。

ご機嫌にスイングして、独特のリズムと声でJAZZを歌い上げるビリーがいる。

レスターヤングがルイアームストロングが、ベニーグッドマンが寄り添い、時に高らかに音を響かせる。

 

そして午後の日射しが傾く頃、Lady in SatinにCDを入れ替える。

薬と病気の中で声を失い、それでも歌うビリーがいる。

優雅なストリングをバックに苦しそうに声を紡ぐビリーがいる。

心に歌声が染み、夕暮れと共に、切なさが染み渡っていく。

このCDの後、どのジャスボーカルを聞いても物足りなさを感じてしまう。

 

初冬にはいつもビリー・ホリデイを聞いている気がする。

しかし今年ほど、Lady in Satinを切なく感じた年はない。

年と共に深まる音楽があるのかもしれない。

 

ビリーに一枚の写真を捧げたいと思うけど、きっと今生では無理なような気がする。

いつの日か、ビリー・ホリデイの歌声が聞こえるような写真を撮ってみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬の明暗

冬の光はまっすぐで独特の明暗を作り出す。

写真はいつも光と影を追いかけている。

 

よく、自分の中には2種類の自分がいるという。

道徳的な自分とそうでない自分。

正直な自分と嘘をつく自分。

これは、社会という光を自分にあてることで生じる。

社会という尺度では、私はいつも矛盾する存在だと気づく。

 

しかし自分に「生命」という光をあてると、

自分は世界と一つであることが分かる。

自分も世界も分けられないのだと気づく。