雨の天川でイベント

中吉野地区商工会青年部主催の「女性のためのプチ修験道入門」が雨のなか開催された。

祈りの地、天川を広く知ってもらうために企画されたこのイベント、前回は台風の影響で中止になってしまった。

今回も強い雨の予報で、参加者の方の動向が心配されたが、キャンセルはゼロ。

天川に対する思いの深さが伺える。

 

写真は丹生川上神社下社前の紅葉。

天河大辨財天で正式参拝をする参加者

参拝の後、宮司さんの計らいで特別にこの能舞台で記念撮影。

洞川温泉に移動し、龍泉寺で護摩供養。

もてなし上手な天川の人々の細やかな気配りが随所に見受けら、雨にも関わらず参加者の方達は楽しそうだった。

 

天河大辨財天や龍泉寺で参加者の方々が真剣に祈っている姿を見た。

改めて、吉野は祈りの地だと思った。

祈りの地を、祈りの地として、高め守っていくこと。

祈りの心を人々に伝えていくこと。

この思いを置き去りにして、吉野という地は存在しないような気がした。

 

残心

最近写真が少し雑になってきて、何が原因かを考えていた。

残心かもしれないと思った。

 

残心は、武道などで使われる言葉で、技をかけた後、弓を射った後も心をそこに残し、相手からの攻撃などに備える事である。

またお茶や踊りなどの芸事にも使われる、古くから有る言葉だ。

 

要は心を残すこと。

お茶の世界では、人との別れを惜しんで、その余韻を味わうことを「余情残心」と言うらしい。

亭主は、お客の姿が見えなくなるまで見送り、その後もすぐに片付けるのではなくて、相手の余韻を味わう。

 

焦って写真を撮っているからかもしれない。

シャッターを押せばすぐに次の事を考えている。

今撮影した風景に心を残し、その風景との出会いを喜び、別れを惜しんでいない。

ただ撮影しているだけなのだろう。

何か大切な事を忘れているようだ。

 

ちなみに、すべての動作に心を残すと、とても美しい所作になる。

書店に行って見終えた本を書棚に戻すとき、最後まできっちりと意識する。

相手に頭を下げるとき、手を振るとき、きっちりと相手のことを考える。

指先の最後まで、そこに心を置くこと。

残心をずっと続けると「今を生きる」という生き方になるのだう。

私にはほど遠いけれど。

 

自転車復活

20数年前に買った自転車を暇を見てレストアした。

昔の自転車は構造が簡単で、少しの専用工具でほとんどバラバラに出来る。

今日は組み付けた自転車の様子をみながら、1時間ほど近所を走行した。

自転車を10分ほど走らせるだけで、山の中へ、靜かな林に入っていける。

筋肉のない、運動からほど遠い私の自転車は、ゆっくりと進む。

この速度が好きだ。

風景もゆっくりと遠ざかり、ゆっくりと風を感じ、

静かな水の音も聞こえてくる。

良いところで生活をしているのだなと思う。

ゆっくりと夕日が沈み、空が赤く染まり始める。

そうだ、陽が沈む前に犬たちと散歩に行こう。

最後の坂を少し頑張って登った。

 

写真は長い眠りから復活した愛車。

我が家の愛犬サテちゃんにちなんで「さっちゃんの介号」と命名した。