この二週間ほど毎日ビリー・ホリデイを聞いている。
10枚組のLady dayを順番にかける。
若く美しいビリーがいる。
ご機嫌にスイングして、独特のリズムと声でJAZZを歌い上げるビリーがいる。
レスターヤングがルイアームストロングが、ベニーグッドマンが寄り添い、時に高らかに音を響かせる。
そして午後の日射しが傾く頃、Lady in SatinにCDを入れ替える。
薬と病気の中で声を失い、それでも歌うビリーがいる。
優雅なストリングをバックに苦しそうに声を紡ぐビリーがいる。
心に歌声が染み、夕暮れと共に、切なさが染み渡っていく。
このCDの後、どのジャスボーカルを聞いても物足りなさを感じてしまう。
初冬にはいつもビリー・ホリデイを聞いている気がする。
しかし今年ほど、Lady in Satinを切なく感じた年はない。
年と共に深まる音楽があるのかもしれない。
ビリーに一枚の写真を捧げたいと思うけど、きっと今生では無理なような気がする。
いつの日か、ビリー・ホリデイの歌声が聞こえるような写真を撮ってみたい。