人生の鍛錬

小林秀雄の言葉を年代順に集めた本が出版された。新書で756円と求めやすく、嬉しくなって買ってしまった。

やはり小林秀雄は面白い。すべての言葉が理解出来ることもないけれど、読んでいるだけで心地がよい。

分からないものを、分からないまま読む快楽がある。

格言集のようなものなので、どこから読んでも良いし、どこで終わっても良い。

ふっとした気分転換にページをめくったりする。日本で初めて「批評」という地平を開拓しただけのことはあって、一つずつの言葉に、芯が通っていて、その言葉には、覚悟のようなものを感じる。

やはり小林秀雄はいいな。この方の講演を記録したテープを聴いていると、学問をする人間の精神と志の高さを直接肌に感じることが出来る。もうこのよう存在の人間は生まれてこないかもしれない。

しかしこの本を小林秀雄が知ったら、きっと、怒るだろなと思う。

「ぼくの考えの断片を寄せ集めてもぼくの考えを知ったことにはなりませんよ。短い文章でもいいから、きっちりと読み込んで、そしてぼくという人間に触れて欲しい・・・・・」というような小言が聞こえてきそうで、それもまた楽しい。
41f5jdjemyl_ss500_.jpg

伝統と革新の間で

吉野には素晴らしい紙漉の技がある。

先日ある切っ掛けで、手漉き和紙の伝承者、福西弘行さん(福西和紙本舗)とお会いする機会に恵まれた。

私はこの方とお会いして、伝統を守り、伝承する方の本当の姿を教えられた。

最高の和紙を作るためには、徹底的に細部にこだわる。
これは、伝統を守るためにではなく、最高のものを作るために必要なことで、
「伝統にこだわるから良いものが出来る」のではなく、
「良いものを作るためには、こだわらなければいけない伝統がある」ことが分かる。

そしてなにより私が感動し教えられたのは、福西さんの精神の革新性である。

どの伝統も、伝統と呼ばれる前には革新であったことが理解できる。

革新が伝統になり、また革新が生まれ伝統が作り出される。
伝統は革新を生み出すためのエネルギーであり、革新は伝統の正当な継承者でる。

福西さんとお話しをしていると、伝統を守る者こそ、革新の正当な伝承者であると教えられる。

今の吉野には、伝統を革新に変えるエネルギーが枯渇しているような気がしてならない。

優しい夕暮れの光と手漉き和紙。和紙には自然の光がよく似合う。
dsc04564.jpg

写真は紙漉の行程で使われる剃刀。私はこの道具の美しさに感動した。
dsc04557.jpg

吉野山

吉野での生活も10年を超えて、桜、盛期の吉野山を初めて訪れた。

普段は人出の多さに圧倒されて、出かけることをためらっていたけれど、今年は意を決しての桜遊。

如意輪寺から見る吉野山は、美しく山が桜で霞んで見える。山に咲く桜は、堤に並ぶ桜よりも美しような気がする。

川の精気と山も精気の違いかもしれない。場所の歴史の違いかもしれない。

しかし、蔵王堂付近は土産物店が軒を並べ、人出も多く、風情を感じるのが少し難しい。

 「さまざまな こと思い出す 桜かな」
という芭蕉の句の通り、桜はいつも思い出と共にある。

今年の桜を数年後どのように思い出すのだろうか。

それとも思い出すこともなく、吉野山から逃れるように行った、秋津温泉の少し濁ったお湯を思い出すかもしれない。

dsc04365.jpg