伝統と革新の間で

吉野には素晴らしい紙漉の技がある。

先日ある切っ掛けで、手漉き和紙の伝承者、福西弘行さん(福西和紙本舗)とお会いする機会に恵まれた。

私はこの方とお会いして、伝統を守り、伝承する方の本当の姿を教えられた。

最高の和紙を作るためには、徹底的に細部にこだわる。
これは、伝統を守るためにではなく、最高のものを作るために必要なことで、
「伝統にこだわるから良いものが出来る」のではなく、
「良いものを作るためには、こだわらなければいけない伝統がある」ことが分かる。

そしてなにより私が感動し教えられたのは、福西さんの精神の革新性である。

どの伝統も、伝統と呼ばれる前には革新であったことが理解できる。

革新が伝統になり、また革新が生まれ伝統が作り出される。
伝統は革新を生み出すためのエネルギーであり、革新は伝統の正当な継承者でる。

福西さんとお話しをしていると、伝統を守る者こそ、革新の正当な伝承者であると教えられる。

今の吉野には、伝統を革新に変えるエネルギーが枯渇しているような気がしてならない。

優しい夕暮れの光と手漉き和紙。和紙には自然の光がよく似合う。
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写真は紙漉の行程で使われる剃刀。私はこの道具の美しさに感動した。
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吉野山

吉野での生活も10年を超えて、桜、盛期の吉野山を初めて訪れた。

普段は人出の多さに圧倒されて、出かけることをためらっていたけれど、今年は意を決しての桜遊。

如意輪寺から見る吉野山は、美しく山が桜で霞んで見える。山に咲く桜は、堤に並ぶ桜よりも美しような気がする。

川の精気と山も精気の違いかもしれない。場所の歴史の違いかもしれない。

しかし、蔵王堂付近は土産物店が軒を並べ、人出も多く、風情を感じるのが少し難しい。

 「さまざまな こと思い出す 桜かな」
という芭蕉の句の通り、桜はいつも思い出と共にある。

今年の桜を数年後どのように思い出すのだろうか。

それとも思い出すこともなく、吉野山から逃れるように行った、秋津温泉の少し濁ったお湯を思い出すかもしれない。

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蜻蛉の滝

川上村で講習の打ち合わせがあり、今年も夏の3ヶ月間、パソコン講習が開催されることになった。

打ち合わせの帰りに、少し早いとは思いながら蜻蛉の滝を訪れた。

歴史に有名な蜻蛉の滝は、公園のようになっていて、枝垂れ桜や様々な桜が植えられている。

ここ数日の冷え込みで開花は遅れるだろう。

 この時期、在原業平の

「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」

を思いだし、今も昔も春を待つ人の心に変わりはないのだなと感慨に耽ってしまう。

写真は、蜻蛉の滝にある桜の木。つぼみはつぼみでまた美しい。

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