従来失せず

「従来失せず、なんぞ追尋(ついじん)を用いん」

という言葉が「十牛図」の一番最初にある。

「十牛図」は、牛を探し、見つけ、飼いならすまでを、10枚の絵に現した、禅の教えである。

もちろん、牛とは自己のことである。

自己を求め、発見し、理解し、そして開放する。その流れが分かりやすく説明されている。

私は、この「十牛図」の冒頭の言葉が好きだ。

私たちは何も失っていないのに、いつも何かを捜し求めている.
探しているから見つけなければならない。

私たちは、過不足のない生活に我慢できないのかもしれない。

自分の現実を薄く薄くスライスしていくと、そこには「今」がある。
この「今」はどんな状況でも、充足していると感じることができる。

現実に、過去と未来という不純物がプラスされると、そこに過不足が生まれるようだ。

現実だけを見据えて生きるというのは、とてつもなく難しいことのようだ。

「従来失せず。 」ほんとうにそうだと思う。

何も失っていないのに、私は、いったい何を探しているのだろう。

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ちくま文庫から出ている「十牛図」の本。

萱簾(かやす)

萱でつくられた簾。細く繊細で美しい。

この萱簾は、宇陀手漉き和紙の名人、福西弘行が、紙を漉くときに使う道具である。

この萱簾を作れる職人はもうほとんどいない。

四国にいる職人さんに頼んで特別に作ってもらっている。
この職人さんに後継者はいない。

もしこの萱簾がなくなれば、繊細な和紙が漉けなくなると福西さんが言う。

名人の技を支える名人の技。伝統は連鎖している。
伝統を守ることはアグレッシブで過酷なことだと思う。

しっかりと腰を据えて、覚悟を決めて伝統を語らなければ、美しい国を作ることは出来ない。

萱簾

吉野から十津川そして熊野へ

友人の招きで久しぶりに熊野へと出かけた。

十津川には、高校時代からの友人がいて、熊野に出来けるときは、まず彼の家で一泊するのが恒例だった。

田舎暮らしの先駆けのような彼の家は、細い吊橋を渡り、狭い里道の起伏を歩いた先にある。
友人は、この土地に自分の力で家を建てた。強い意志と柔らかな感性をもった優しい友人は私の憧れでもあった。

しかし彼は、一昨年の秋に白血病で慌しく逝ってしまった。素敵な恋人を残して。

少し迷っていたけれど、熊野に行く前に、彼の家を訪ねることにした。

吊橋

いつも友人が迎えに来てくれていた吊橋を始めて一人で渡った。

この集落には、もう一軒だけ老夫婦の家がある。
友人がお世話になり、猟から山仕事、畑を教わった人生の先輩が住んでいる。

この老夫婦に挨拶をして、今は主のいない家を訪ねた。
様々なことを思い出しながら、家を眺めた。
私は人生の折々に彼を訪ねた。私が東吉野に移住したのも彼の影響だった。
この場所は、私の未熟な精神のゆりかごのようだ。私はここに自分の精神の成長を確認しにきていたのかもしれない。

老夫婦の家に戻って別れの挨拶をすると、奥さんが黄色いスイカを出して下さった。
全部食べていきなさいといってくれた。

人よりも獣の多いこの土地で、やっと採れた小さなスイカだ。

私は、皿に盛られたスイカを見たとき、胸がいっぱいになってしまった。
泣き出すのをこらえて、スイカをすべて食べた。甘くておいしかった。

この夫婦も後何年、この土地に住むことが出来るだろうか。

田舎ぐらしという言葉には、甘美な響きがある。
しかし友人もこの夫婦も、この土地で田舎暮らしをしていた訳ではない。

彼らは、自然と共棲していたのだ。自然を相手に暮らすことは田舎暮らしとはかけ離れていることを、改めて教えられた。