吉野での生活も10年を超えて、桜、盛期の吉野山を初めて訪れた。
普段は人出の多さに圧倒されて、出かけることをためらっていたけれど、今年は意を決しての桜遊。
如意輪寺から見る吉野山は、美しく山が桜で霞んで見える。山に咲く桜は、堤に並ぶ桜よりも美しような気がする。
川の精気と山も精気の違いかもしれない。場所の歴史の違いかもしれない。
しかし、蔵王堂付近は土産物店が軒を並べ、人出も多く、風情を感じるのが少し難しい。
「さまざまな こと思い出す 桜かな」
という芭蕉の句の通り、桜はいつも思い出と共にある。
今年の桜を数年後どのように思い出すのだろうか。
それとも思い出すこともなく、吉野山から逃れるように行った、秋津温泉の少し濁ったお湯を思い出すかもしれない。
桜か。 なぜか桜の散っていく風景を見ていると思い出すシーンがある。
カルメン故郷に帰る。っていう映画の1シーンで、カルメンが女友達と丘の草原を歌いながら裸足になって走ったり、飛び跳ねたりしている。
なぜそのシーンと桜が繋がるのかよくわからない。 脳内で印象の波長に似かよった所があるのかしら。
こんにちは。芭蕉の句にも
鐘消えて花の香は撞く夕哉
薦(こも)を着て誰人います花の春
とありますが、思いの強い、少しひねった歌が多いですね。
やはり、桜の木の下には、何かが埋められているのでしょう。