こころはどこにあるのだろう

私たちは、感動すると胸が一杯になる。

つらいことがあると、胸が痛む。

この胸とは、どこにあるのだろうか。

難しいことを考えると、頭が一杯になる。

仕事に行き詰まると、頭が痛くなる。

この頭とはどこのことだろう。

同じ私の中に、どうして胸と頭があるのだろう。

美しい光や小さな花に出会うと、

胸が喜ぶのがわかる。

みぞおちのあたりから、暖かなのもが流れるのが解る。

こころは胸にあるような気がする。

では、頭には何があるのだろう。

エゴだろうか、マインドだろうか。

 

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すべては自然に流れて

エルクはすべてを自然に任せて、悠然と今を生きている。

私のどんな言葉も不自然に響くこの不思議な時間。

「エルクそれは身体に良くないよ」

「エルク無理をしないようにね」

どんな言葉も今のエルクには必要がない。

エルクを前に、私は段々と言葉を忘れていく。

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霜の降りた庭で散歩するエルク、

散歩から帰り駆け寄るエルク、

このかけがえのない瞬間。

一瞬一瞬の時間が愛おしくありがたい。

今を生きることの意味をエルクは教えてくれる。

 

「死は病ではない」という言葉が、藤原新也のメメントモリに書かれている。

私はこの言葉が好きだ。

死は病などではなく、自然と訪れる生のめぐりだ。

霜が太陽の光で溶けるように、

廃墟にも梅が咲くように、

川の水が流れるように、

自然の成り行きなのだ。

私たちもまた、自然の一部だ。

死を悲しむこころを観察すると

自分というものの正体が見えるかもしれない。

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エルクはスルリとすり抜ける

私たちのつらさも、悲しみも

エルクはスルリとすり抜ける。

「長くて4日、早ければ今夜にも」という獣医さんの言葉さへ

エルクはスルリとすり抜ける。

荒い息をしながら起き上がると、真っ先に水を飲む

庭に出て用を足し、おやつを催促してまた眠る。

エゴを持たないエルクには死の恐怖がない。

まるで優れた禅僧のようだ。一休のようだ。OSHOのようだ。

今もエルクは冷たい雨の中で用を足し、庭を一回りして、

おやつを催促してまた眠りに着こうとしている。

エルクの弱りきった心臓が止まるとき

エルクが失うものは、老いた肉体だけだ。

そのとき私たちはかけがえのないもの

愛おしいものを永遠に失う。

しかしエルクは永遠の別れも

私たちの思いも

すべてをスルリとすり抜けて

今を心地よく生きている。

コップの水が、海の水に混ざるように

エルクは、静寂の世界に旅立とうとしている。

私たちの人生を変えたこの犬を

ありったけの悲しみと感謝とともに見送りたい。

 

今、エルクの寝息を聞きながらこのブログを書いています。

私たちは、残された時間をエルクとサテで過ごします。

エルクに死が訪れた時、

私たちに必要なことは、十分に慈しみ感謝する時間です。

私たちをそっと見守ってください。

言葉ではなく、ただそっと見守ってください。