エルちゃん劇場終わりました

春の穏やかな日、

遠くで救急車のサイレンが鳴り

吉野行きの電車の音がかすんで聞こえる。

風にのった花びらが

どこからともなく、舞飛んでくる。

鶯やコジュケイの声がこだまする。

朝の散歩から帰り、

おいしそうにご飯を食べた後

ヨーグルトのパックをなめていたエルク。

急に発作を起こして、

数分後私たちの腕の中で

エルクの魂はボディを離れました。

そのことがまるで当然であるかのように

エルクは、光になり、宇宙に広がって行きました。

この長閑かな春の日

エルクの息する音が聞こえてきません。

エルクと呼んで駆け寄る姿がみえません。

雉の鳴き声は聞こえるのに、エルクの足音が聞こえません。

前回の発作から1ヶ月

私はエルクから多くのことを学びました。

死のこと

大切なものを失うこと

エルクの発作を通して

大きな気づきもありました。

でもエルクが私に与えてくれた最大のものは

愛するという心、慈しむこころ

愛おしいという思いです。

私は涙を拭きながら、この文書を書いています。

この涙には、エルクを失った悲しみの他にも

生きることの意味、死の意味、

愛すること、思うこと

生きていくこと

人が人であるために大切なこと

悲しみ、慈しみ、

喜び、楽しみ

すべてのものが混ざり合った涙です。

エルクが私に愛すること、慈しむことを

教えてくれなければ、私はただ悲しみの涙を流したでしょう。

エルクほんとうにありがとう。

どんな感謝をしても言葉がありません。

エルク、エルク、エルク

ほんとに、ほんとにありがとう。

エルク、愛しているよ。

自分に微笑もう

お気に入りの人と出会うとき、私たちは思わず微笑んでしまう。

お店で、公園で、人とふれあうとき、私たちは微笑む。

朝、素敵な微笑みと出会うと、一日が気持ちよく過ごすことができる。

この微笑みを自分に向けてみる。

自分に気づいたとき、まず自分に微笑む。

呼吸に気づいたとき、自分に微笑む。

私たちのマインドは、すぐに自分から離れてしまうから

自分に気づいたときには、「お帰り」と言って微笑もう。

自分に対する微笑みの回数が増えるほど、

気持ちのいい日が多くなる。

自分のことが好きになる。

愛は理解から始まる

ティック・ナット・ハン師の「ビーイング・ピース」に出てくる言葉。

この本は読み返すたびに新しい気づきがある。

理解しようとしたとき、その人の中に目覚めた人が生まれる。
理解と愛とは別のものではないとハン師は言います。

人を理解しない、自然を理解しない心が憎しみや破壊を生む。

理解しようとしたとき、すでに心の中に愛がある。

その愛は、目覚めた人のものであると。

「理解するとき、愛します。
愛するとき、自然に、あなたは、人々の苦しみを和らげる行いをします。」とハン師は書きます。

私たちが地球を、自然を、人を理解しようと努めるとき、世界が安らぎに満ちた世界になることをこの本は教えてくれる。