違和感

先日の蓮華の花の写真を眺めていて、どこか違和感を感じる。

見れば見るほど、この違和感がとげのように痛み出す。

自分で撮影したような気がしない。

どこか人の目で撮影したような写真だ。

 

今日、もう一度、蓮華畑を訪ねた。

ゆっくりと眺めていると、やはり美しい。

ここで自分の光を見よう。

人の光ではない、自分だけの世界を。

  

ゆっくりと息を吐きながら、静かに歩く。

少しづつ世界が自分に近づいてくる。

自分が純粋に世界と向かい合うとき、

自分の内にスペースが生れる。

このスペースは豊で限りがなく、静かで暖かい。

人が来れば温かく迎え、

人が去れば優しく見送ることの出来るスペース。

そのようなスペースと出会いたくて、カメラを持っているのだけれど、まだまだ迷いが多い。

蓮のように圧倒的な美しさを目の当たりにすると、どうしても見えなくなってしまう。

まぁ、いいか。心は喜んでいるのだから。

 

 

蓮華

今年こそは、蓮の花をゆっくりと眺めたい。

写真に撮りたい。

その思いが今日偶然にかなった。

家から車で10分の場所で蓮を育てていると聞き、

仕事の待ち合わせより30分早く家を出た。

 

遠くに蓮の花が見える。

車を止めて、ゆっくりと歩き出す。

胸の高鳴りを抑えられない。

「美しい」この言葉しか出てこない。

まるで、蓮の花が光を発しているようだ。

ハイチカ~!と何度も叫びながらシャッターを押した。

 

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追記:この蓮の写真は、標準レンズ(35mm換算で50mm)1本だけで撮影しました。

望遠や広角など、レンズの特性に依存せず、自分の見た感じに近く表現されるレンズを使いました。

望遠のマクロレンズでもっとアップにして撮影することも可能ですが、それは肉眼を超えた「レンズが見た世界」だと思ったからです。

自分が見た感じに近いレンズ(標準レンズ)で、一番美しく撮影する。これが今回の課題でした。

遠くのものを無理に撮影せず、近づけるものには、自分の身体で近づいて撮影しました。

私の目が見たであろう世界を出来るだけ再現しました。

にわか雨

仕事先で、ふと窓の外をみると、雨が降り出している。

誰かがぽつりと、「あっ、雨や」と声を出した。

みんなが、窓の外を眺めている。

だれも、声を出さない。

ただ、窓の外の雨を見ている。

幸せで、静かな時間。

つかの間の安らぎ。

帰り道で、何人もの人が、雨を眺めていた。

河原では、雨に手を差し出す子供たちがいた。

 

道路の熱で雨が蒸発している。

作物も、草花も、この雨を歓迎している。

雨上がりの空

昨日の夕暮れ