東吉野 灯籠流し

前の住まいは、清流の美しい東吉野村の小さな集落。

私はここで、人が生きること、自然、地域、田舎暮らし、など様々な事を学んだ。

つらい時間と楽しい時間が大きな振幅を伴って思い出される東吉野での生活は、懐かしく、温かく、そしてほろ苦い。

 

お盆の15日、用事があって東吉野を訪ねた。

山村では、夕日を見ることが出来ない。

傾き始めた太陽は、すぐに山の中へと消えていく。

日の陰りは早く、川も山も夕闇に消えていく。

この数年、夕日の写真が多いのは、夕日を見ることが出来なかった山村生活の反動かもしれない。

心地よい川風が吹き、薄暮で覆われる頃、盆踊りと灯籠流しの準備が始まる。

白熱灯の元で夜店が始まる。

小さな輪が出来て、盆踊りが始まる。

田舎を持つ人々の帰郷で、つかの間の賑わいが戻ってくる。

すべての行事の終わりを告げるかのように花火が上がる。

東吉野を出て4年。

多くの出会いと別れを繰り返しながら、吉野で暮らしている。

この年になって初めて、自分が自分を生きているという実感がある。

昔ほど自分の居場所を探さなくなった。

人に好かれようという気持ちも薄れた。

 

みんなありがとう。

この文章の締めくくりの言葉を考えていると、ふっとこの言葉が浮かんできた。

みんなありがとう。か、出来ればみんな愛しているよ、にならないかな。

いつの日か、みんな愛しているよに変わることができるのだろうか?

下町を歩く

私は大阪の下町で生れ育った。

炎天下、生れ育った場所をゆっくりと歩いた。

夢遊病者のように、ただ漫然と町を歩くいた。

汗だくになりながら。

見慣れた光景、変わってしまった町並み。

消えた人影。

それぞれに、複雑な思いが交錯する。

触れたくない時代、語りたくない言葉の幾つか。

引っ越しをする度に、大阪から遠い場所、遠いところへと移っていった。

私にとって、生まれ故郷とはなんなのだろうか。

 

偶然の休日

思いがけない偶然が重なって、お気に入りのPEACE PEACE PEASEで友人たちとゆっくりと写真の話をした。

会いたいという気持ちは通じるようで、忙しい合間にポッカリと時間が空く。

お気に入りの店で、大好きな人たちと話をした。それもとびっきりの写真の話を。

 

写真の話には、このお店の美味しい珈琲が似合うような気がする。

PEACEさんで写真の話をする会でもしたいなと思う。

いつも励ましてくれる友人夫婦と、とても美味しいマンデリンを淹れて下さるオーナーに心から感謝します。