まぶしさのない光

お盆を過ぎて、朝夕の光が少し変わってきた。

暮れかけの夕日に薄雲がかかり、

拡散した光が優しくて心地よい。

まぶしさのない光は久しぶりのような気がした。

蓮への思い

今回でこの蓮畑の撮影は4回目になる。

自分の写真を見ていてもどかしく、しっくりと来ない。

恋い焦がれていた人にばったりと出会って、どうして良いか分らずに右往左往しているようだ。

今回は勇気を出して、思いを打ち明けて見たが、どうも上手く伝わらなかったようだ。

私の思い込みの強さに、相手が引いてしまったのかもしれない。

 

私にとっての良い写真とは、写し取った写真の結果だけではなくて、その出会いのプロセスが、撮影までのこころの有り様が大切になる。

私の写真は、私と光景の微かな、しかし、愛おしいこころの交流から生れる。

私の思いと光景の思いとが上手く重なるとき、素敵な写真を撮ることが出来る。

そこに日常を超えた、私だけの光を見ることができる。

 

この蓮の写真を見ていて、自分の写真に対する課題の多さに気づかされる。

このとても楽しみな修行は、まだまだ続きそうだ。

 

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午後6時の蓮

打ち合わせより30分早く到着したのは、蓮の花が見たいから。

吉野での仕事先は、自然に恵まれていて、出かけることも楽しい。

お盆を過ぎると蓮の花はすべて出荷されて、葉っぱだけが残っているのかと思っていたら、白い蓮がたくさん咲いていた。

夕方の光は力強くて、蓮を輝かせる。

午後6時の光で見る蓮も、また美しい。