楽楽重楽楽

古詩十九首に「行行重行行」(行き行きて重ねて行き行く)という詩がある。

これは、「離別の詩」と言われ、行軍を重ねて遠くへ行ってしまった夫を思いやる妻の悲しい思いが綴られている。

私はこの言葉の重なり具合が好きで、「行き行きて重ねて行き行く」と詠むと、遠くへ、ほんとに果てしない遠くを旅する人を想像してしまう。

年を重ねると「過過重過過」だなと思う。「過ぎ過ぎて重ねて過ぎ過ぐ」という感じがする。

吉野の桜に当てはめると、「咲咲重咲咲」(咲き咲きて重ねて咲き咲く)というイメージにぴったりする。

私は十分に人生を楽しんでいるので、後もう一楽しみをして、

「楽楽重楽楽」がいいような気がする。

これは、「楽しみを楽しみて重ねて楽しみを楽しむ」と詠むとぴったと来る感じがする。

こんな暢気な文章を書いているけれど、実は確定申告の真っ最中で、どうも現実逃避しているようだ。

毎年の事だけれど、どうも好きになれない。

こんな時よく「行行重行行」という言葉を思い出す。

あ~、何処か遠くへ行きたいな。

此処からではなくて、自分から遠い場所へ。

 

友人からお借りしたCanon 5D MKⅡで撮影しました。

大和上市

奈良県の吉野は桜で有名だが、周辺には古い町並みが残っている。

少し前に林業で栄えた名残が、細い路地のここかしこに見受けられる。

吉野へ来て初めて、ゆっくりと上市の町を歩いた。

旧伊勢街道が通る道は細く、人通りも少ない。

昔の本通りとは思えない道幅だ。大きな物資は吉野川を使って運んだのかもしれない。

夕方の光が上市の道を照らす。

ゆっくりと道を歩いていると、ものすごく遠くへ来たような気がした。

入り組んだ路地の道を下ると、すぐに吉野川が見える。

ここに民家を借りて、本当のひなたカフェをオープンしたくなった。

メニューは、葛を使ったシンプルなお菓子と、香り豊かなヌワラエリアが似合うような気がする。

望まない思い

天川村のお客様の所へ、打ち合わせに出かけた。

昨日が東吉野村から吉野町。

一昨日が明日香村での仕事だったので、思えば仕事先の多くが観光地だ。

 

今日は、朝から雪交じりで、太陽が出ることもなく、冷え込みの厳しい日になった。

吉野では雨でも、天川は雪交じりに違いない。

まして標高の高い洞川温泉では、積雪があるかもしれない。

予想した通りに、洞川温泉は雪が積もっていてほとんど人影もない。

標高が高く水のきれいな洞川温泉の旅館には、蚊を防ぐ網戸がない。

 

訪ねた先は老舗の旅館で、大峰参りの人たちを大切にしている。

信仰の人をもてなす旅館には独特の雰囲気がある。

磨かれた廊下、昔ながらのガラス。

洞川温泉には、人を持てなすこころが残っている。

落ち着いた時間が佇んでいる。

 

洞川温泉に来るときは、いつも天川弁財天に立ち寄る。

人気のない境内をゆっくりと歩く。

天川弁財天は、静かな時間と気配に包まれていた。

御賽銭を入れて、言葉が浮かんでこないことに気づいた。

ただ手を合わせて、静かに立ち去った。

今日は、祈ることもせず、願うこともなかった。

境内を歩きながらふっと思った。

何も望むものがない状態は、もっとも幸せな状態かもしれない。

それにしても、今日はなぜ、何も言葉が出なかったのだろう。

不思議だ。

帰り際に微かに光が差し込み始めた。

帰り道、峠では、梅が咲き始めていた。