夕方、雲が広がり太陽がかすんで見えた。
仏の座の間に、土筆が見えた。
励まされている気がした。

光と風の交わる場所で
私たちはこの地震で、多くの尊い、かけがえのないないものを失ってしまった。
時間と人々の努力と、悲しみと笑顔、汗と涙で培われたすべてのものを失ってしまった。
この痛みは、自分のこころとからだの一部を失った痛みに等しい。
私のこの痛みは、世界が一つであることの証のような気がする。
かけがえのない世界の一部が失われた痛み。
私の周りにも、この痛みに耐えている多くの人がいる。
私は今、この痛みの中にあって、自分もまた世界の一部であることを強く感じている。
もし私たちが一つであるならば、
私たちの力と笑顔がいつの日にか、
かけがえのないものを失った人たちの笑顔と力になるかもしれない。
その時のために、笑顔が作れるような生き方をしよう。
その時のために、私は穏やかな呼吸をしよう。
その時のために、今の仕事をきっちりとやり遂げよう。
この長い再起への道程の途上に、私に出来ることがあると信じて。
恵古箱さんのおうちを久しぶりに訪ねた。
このおうちには、独特の時間と空間が流れている。
現在の社会に流れる時間とはひと味違う、ゆったりとした時間がここにはある。
それは、ふるいものたちが醸し出す独特の雰囲気かもしれない。
ここにあるふるいものたちに、特別な価値があるわけではない。
ただふるいだけでもない。
何かつながりのあるもの。自分とつながるものたち。
例えば、遠い記憶に登場するものたちだったり、
幸せな時間を呼び覚ますものたちだったり、
手のひらや、指先が覚えている温もりだったりする。
宝物のように大切にされた、ガラスの瓶
飽きずに眺めたコップの模様、
思い出の詰まったブリキの缶
人がものを理解し、慈しみ、大切に扱った時代の記憶が蘇るのかもしれない。
もし、恵古箱さんのおうちを訪ねるのなら、ゆっくりとした時間のあるときがいい。
ゆったりとした時間の中に佇んでいるのに、あっという間に時間が過ぎてしまうから。
いつも最高の笑顔で迎えてくださる恵さん、どうもありがとう。