窓を見ると雨粒が光で輝いている。
雨の輝きを撮影したくて外に出た。
雲間からの光が雨粒に煙って美しい。
桜の樹を思い出しカメラを持って振り返った。
美しく力強い虹。
虹の麓が見たくて、駆けだしていた。
ゆっくりと消えていく虹を見ながら
心の中で、「ありがとう」と数度つぶやいた。
本当は「愛しています」と言いたかったのかもしれない。
私の状態がどのようであろうと、世界の情勢がどうのであろうと
大いなる存在は、いつも祝福してくれる。
4月1日、多くの人の心に天から虹が降りそそいだ。

光と風の交わる場所で
この階段を登ってきたのだろうか。
下ろうとしているのだろうか。
時々わからなくなることがある。
流れる時間をいつも左から右へと、
過去から未来へと眺めてきた。
この時間軸を直角にずらすと、未来と過去が重なって見える。
生まれた瞬間に、遠くの方で自分の死が重なって見える。
出会った瞬間に、別れが重なって見える。
失えば得られ、得られれば失うものが見える。
小さな種に花と実が見える。
枯れていく花に小さな種が見える。
登ると同時に下り、下ると同時に登る。
この階段の途中で少し休みたい。
柔らかな日差しと、春の風が感じられると嬉しい。
疲れが薄まれば次の一歩を踏み出そう。
今の私にできることは、
登ることでもなく、下ることでもない。
一歩一歩を大切に踏み出すことだけなのだ。
数年前、既存の仏教に対する疑問から、ブッダは何を悟ったのか、なぜ修行をしたのか、何を伝えたかったのかを知りたくなった。
中村元さんをはじめ、スマナサーラー長老などブッタのことが書いてある本を中心に少し本を読んだ。
そしてヴィパッサナー瞑想を知り、瞑想会にも参加した。
ティク・ナット・ハン師の「小説ブッダ―いにしえの道、白い雲 」には当時私が知りたかったことのすべてが書かれている。
小説形式で書かれているが、ブッダの教えや瞑想法が丁寧に紹介されている。
そして何よりブッダを神格化していないことが素晴らしい。
一人の人間ブッダが悟りを得て、その教えを真摯に人に伝えていく様子が手に取るようにわかる。
この本を読んでいる間、気持ちはいつも満たされていた。446ページ2段組が少しも長く感じない満たされた時間。
この本は後何度か読み返すだろう。ブッダそのものを知るための最高の一冊だと思った。