気分転換にスケッチを

昔から字と絵が下手な私は、その恩恵でパソコンを使いこなせるようになった。
絵が描けない私は写真を習得し、そして習字の変わりにパソコンを使い仕事ができるまでになった。
欠点は時に長所を呼び込む。欠点を補うより、長所を伸ばすほうが楽で仕事に直結することもある。

しかし最近、山田雅夫さんの「スケッチは3分」という本と出会い少しスケッチに興味が涌いたスケッチは3分

身近にあるものを3分間で簡単にスケッチするという考え方が面白い。
山田雅夫さんが画家ではなく建築士を職業としており、話が論理的で面白い。
これなら私にもできそうだと思い、1週間ほど練習してみた。

スケッチ

上の絵は、3分ではなく10分程度はかかったけれど、下手ながら楽しい仕上がりになった。

これは、ヘタウマではなく、ヘタヘタな絵だけれど、少し気に入っている。

前衛的

仕事の合間にCDをレンタルしに出かけた。

目的は、八代亜紀さんの「舟歌」。
映画「駅STATION」で、高倉健と賠償智恵子が二人でこの曲を聴くシーンが忘れがたくて、衝動的に聞きたくなったから。この映画の居酒屋のシーンほど心に切なく沁みる場面をあまり経験したことがない。
日本人であること、昭和を生きたこと、老いに向かっていることなど、刹那に人生を振り返ってしまう。

もう一つは、ケイコ・リーのあまり上手くは無いが、なぜか愛着の湧くボーカルを聞いてみたくなった。
この方の音楽は、最初つまらない感じがするが、聞き込むとゆっくりと好きになる不思議な魅力がある。

そして前衛的といわれている菊池成孔の「南米のエリザベス・テイラー」を借りた。
内容はまずまずで、前衛であろうとするが、時代がすでに前衛を凌駕しているが故に、前衛であることが出来ない歯がゆさがある。

このCDを聞いて、前衛という言葉がすでに死語であることを感じた。
前衛が時代の先端であったときに青春を過ごすことが出来た幸せを思った。

ペルトを想う

アルボ・ペルトと出会えたことは自分の人生で大きな意味を持つ。

私がこのエストニア出身の現代音楽家から与えられた感性と霊感は、祈りという言葉と共に深く心身に沁みていった。

静謐で深淵、祈りと慈しみに満ちたペルトの音が私を満たすとき、私は深く静かに自己の内面に降下する。誤解を恐れずに書けば、遥かな高みに降下するというイメージに近い。

2000年に発売された「アリーナ」というCDは、今までとは少し違うトーンを持ちながら、その完成度は高い。

静謐という言葉ではなく、「静けさ」という言葉がふさわしい。

一音一音が丁寧に表現され、場を静けさで満たしていく。

器に喩えれば、白磁より青磁の味わいに極めて近い。

ペルト: アリーナ