アルボ・ペルトと出会えたことは自分の人生で大きな意味を持つ。
私がこのエストニア出身の現代音楽家から与えられた感性と霊感は、祈りという言葉と共に深く心身に沁みていった。
静謐で深淵、祈りと慈しみに満ちたペルトの音が私を満たすとき、私は深く静かに自己の内面に降下する。誤解を恐れずに書けば、遥かな高みに降下するというイメージに近い。
2000年に発売された「アリーナ」というCDは、今までとは少し違うトーンを持ちながら、その完成度は高い。
静謐という言葉ではなく、「静けさ」という言葉がふさわしい。
一音一音が丁寧に表現され、場を静けさで満たしていく。
器に喩えれば、白磁より青磁の味わいに極めて近い。
私は、最近ペルトを偶然の機会に知りました。日曜のN響アワーであった
ような気がします。アマゾンでCDを4枚位購入して聞きました。私は、いままで、お気楽に人生を送ってきていて、音楽もあれこれと聴いてきましたが、深く考えて聴きこんだことや、考えを深めたことがありません。音楽の知識も圧倒的に欠如しているもので、ペルトの音楽の意味と意義がどこにあるのか、わかりません。これからさき、どんな音楽を聴いていけば、心の充足が得られるのか、何かアドバイスを戴けたらありがたいのですが。
野村様 コメントありがとうございます。
私は様々なジャンルの音楽を聴きます。
楽しみで聞く音楽、心を落ち着けたくて聴く音楽、ドライブにあった音楽など、状況によって聴く音楽を変えています。
ただ音楽を聴くのは、何かを「感じたい」からです。
「感じること」は、「考えること」より遥かに大切だからです。
私はアルボペルツの音楽を聞くと「祈り」を感じます。
アルボスというアルバムのスターバトマーテルを一時期よく聞いていました。この音楽に、生きるということに対する贖罪と祈りを感じます。
私は野村さんにアドバイスが出来るとすれば「考えることではなくて、感じることを優先させて欲しい」ということです。
心の充足は、考えても得ることは出来ません。自分の心を素直に感じるとき「心が充足している」ことを感じることができます。
野村さんが良い音楽、美術、書物と出会えることをお祈りいたします。
音楽のことなど、個別にお聞きになりたいときは、メールで質問して頂いても結構ですよ。
メールアドレス:nobu@plus-wan.com