光の予感

何かを感じ取ろうとして、感じることの出来ないもどかしさ。

予感はあるのに、それを見いだすことが出来ない。

試行錯誤の日々が続く。

気分転換、久しぶりに、ネガフィルムで撮影する。

まず、フィルムを巻き上げる。

露出を計り、シャッタースピードと絞りを合わせる。

そしてピントを合わせて、フレームを確認して、シャッターを押す。

フィルムだから一枚ですむように慎重に撮影する。

このアナログな感覚が懐かしい。

近くのスーパーでフィルムを現像して30分でCDにデジタル化してくれるサービスがあった。

これは、便利だ。時々ネガフィルで撮影しよう。

デジタルカメラのシャープさや、色の派手さはないけれど、

今の気分に合っているような気がする。

帰る場所

仕事に追われているといつの間にか、社会に向いている自分がいる。

人と関わることが多くなると、人に向いている自分がいる。

社会の中の私、人の中の私が騒がしく、表に出ようとする。

社会からの、人からの評価が自分のエネルギーであるかのように振る舞う。

こんな日が続くと、思いやりが消えて、強い私が現れる。

  

自分に疲れていると感じるとき、

カメラを持って、近くの道をゆっくりと歩く。

ざわつく心の、奥の奥に微かな静けさを感じる。

道端の草に心を向ける。

沈む光に、消える露に、心を寄せる。

静々と穏やかに自分が戻ってくる。

 写真は自分を映してくれる鏡だと思う。

写真を眺めながら、今の自分を感じている。

海の向こうに見えるもの

眼と心の間に入れるフィルターで世界の見え方が変わる。

歓びというフィルターを入れると世界が輝いて見える。

死というフィルターを入れると、世界は儚く、現のように見える。

 

写真を見ていると今の自分を知ることが出来る。

世界と自分の間にあるフィルターを知りたくて、瀬戸内へ車を走らせた。

  

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