この駅で降りなければ、海に着く

169号線を通り川上村へ打ち合わせに行く。このままどこへも立ち寄らなければ、2時間後には、熊野の海に着く。
「この駅で降りなければ、海に着く」と思いながら17年間ずっと会社に行き続けたと「はじめての短歌」で穂村弘さんが書いている。
「海に行けば今日のことは一生忘れられないってことは、わかってた」しかし「生きのびる」側の強制力が無断欠勤して海にいくことを許さなかったと。
務めに行く人はみんな自分の海を持っていて、いつか、いつかと思いながら、いつもの駅で降りで会社に向かうのだろう。
「生きのびること」と「生きること」が二つあって、「生きのびること」に疲れても「生きること」が心のどこかにあれば、人として生きていけるような気がする。
気がするだけかもしれないけれど。写真は十数年前に撮った熊野の海。私の「生きること」

雪の日

少し前の雪の日の写真。この日の雪は春先の雪に似て重く湿っていた。積もることのない雪。梅の木でつがいのメジロが囁いている。梢から落ちる水滴が雪に模様を作る。この雪は木の葉の汚れを流し、冬枯れの草を洗い、土に染みこんでいく。心の澱はどのように流せばいいのだろう。この雪とともにいろいろなことが流れていけばいいのに。