このときから私たちは諦め始めた

運転中、AMラジオから映画「いちご白書」のテーマソング「サークルゲーム」が流れてきた。

バフィ・セント・メリーの歌声が切ない。

映画は、1986年のコロンビアの大学紛争が舞台だ。

大学紛争に少し乗り遅れた世代としては、小学校の時のテレビニュースでしか記憶に無いのだが、何故か切ない。
この時代を境に、私たちは何か大切なものを諦める習慣が身についたのかもしれない。
もっとも大切なものを諦め、その次に大切なものを求めだしたような気がする。

それにしてもバフィ・セント・メリーの歌声が切ない。この切なさは、私の好きなジョーン・バエズの歌声に似ている。

私はある時期、毎日のようにジョーン・バエズの歌声を聞いていた。バエズの声には「意志の力」がある。きっちりとしたメッセージをきっちりと伝えようとする思いの強さを感じる。

人々が世界を正そうとした、ほんのつかの間の時代、その時代の気分を歌声で表現したのがジョーン・バエズかもしれない。

久しく聞いていないので、amazonで調べてみると、もうほとんど手に入らなく成っている。

一度休みの日に、ゆっくりと聞いてみよう。時代の気分を思い出して。

そして、私たちが何を諦めたのかを考えながら。

ジョーン・バエズ

傷の経過

サランラップで「傷口を包んで直す」ということの経過報告です。

転んだのは、2月27日火曜日の朝、今日は3月1日木曜日で、記事を書いている時間が23:57分。
もう少しで3月2日です。

傷にはじゅくじゅくとした白い液体が染み出ていて、本来なら消毒したくなるところをグッとこらえて、サランラップを巻いていました。これは傷を乾燥ささないためです。そしてこの白いじゅくっとした液体が傷口を早く治してくれるのです。

先ほどお風呂に入ったのですが、傷が沁みることもありませんでした。治りは早く瘡蓋にも成らないようです。

擦り傷には、消毒という思い込みを捨てることで早く綺麗に直すことが出来そうです。

どんなことにも「思い込まない」ことは大切で、もう一度根拠もなく信じていることを検証してみる必要がありそうです。

怪我にサランラップ

朝の犬との散歩で、大きくころんでしまった。私が転ぶところを見ていたご近所の方が、顔か頭を強く打ったのではないかと心配するぐらい潔くぱったりと転んだようだ。

家に帰って痛むところを見ると血が出ている。以前なら慌てて消毒してバンドエイドを貼るところを、今回は違う方法を試みた。

まず消毒はしない。これは消毒すると血を止めたり、化膿を止めたりする白血球などの作用を弱めてしまという理由から。もし泥や汚れが着いているなら水で洗いなおす程度に留める。

傷口をサランラップなどで密閉させる。これは傷口を乾かさないようにするため。このやり方で傷の治りが早くなるという。

最近知った知識だけれど幸い試す機会がなかった。しかし今朝の転倒の傷に早速応用してみた。

もし詳細を知りたい方は、インターーネットで「傷 ラップ」などで検索してみて下さい。

傷の治り具合はまたご報告します。