心を静かにして過ごしていると、小さな小さな声でささやきが聞こえる
心を澄まし、耳をそばだてる
言葉の意味はわからないけれど、伝えたいことの感じは心に伝わる
その感じをそっと心の中において、大切に時間を過ごす
光が風を横切るとき、蝶の影を見た日、木の葉の舞い立つ朝、おいしいコーヒーを飲んだとき
ふとしたきっかけで、言葉の意味に気づく
あぁと私はつぶやき
満たされた時を迎える
何度となく経巡る、小さな気づき
大切なことほど、最初のささやきは小さい

光と風の交わる場所で
心を静かにして過ごしていると、小さな小さな声でささやきが聞こえる
心を澄まし、耳をそばだてる
言葉の意味はわからないけれど、伝えたいことの感じは心に伝わる
その感じをそっと心の中において、大切に時間を過ごす
光が風を横切るとき、蝶の影を見た日、木の葉の舞い立つ朝、おいしいコーヒーを飲んだとき
ふとしたきっかけで、言葉の意味に気づく
あぁと私はつぶやき
満たされた時を迎える
何度となく経巡る、小さな気づき
大切なことほど、最初のささやきは小さい
生まれ育った路地を歩くと軽いめまいを覚える。
路地の奥に見覚えのある家があり、知らない人たちが話をしている。
周りの風景が呼吸でもしているかのように、膨張したり収縮したりしている。
私が歩いたという痕跡は何処にもない。
私がここにいたという痕跡は何処にもない。
ただ私の記憶があるだけ。
しかし記憶に確かなものなど何もない。
黄昏時に知らない町を歩いてると、
ふっと、私はもういないのだという思いに捕らわれる。
自分がこの世にいないのに、それが分からなくて彷徨っているような気がする。
この路地も私には、もう現実では無いのかもしれない。
写真は、シャッターが切られた瞬間に、風景が入れ替わる。
同じ風景を二度見ることは出来ない。
その場所に、同じ自分を留めることは出来ない。
写真は記録ではないのかもしれない。
記憶の凝縮かもしれない。