空っぽの手、空っぽのこころ

友人のブログにコメントを書いているときに、誰かが囁くように、この言葉が浮かんできた。

空っぽの手、空っぽのこころ。

今、一番お気に入りの言葉。

この言葉を心に浮かべると、少し落ち着く。

心身が軽くなる。

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雨の降った夕暮れ時、犬の散歩の時に虹を見た。

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公園のフェンスの向こうにバラが咲いていた。

これで十分だと気づいた。

“空っぽの手、空っぽのこころ” への4件の返信

  1. さわやかな日記で癒されました。

    ところが、この空っぽになるのが、

    ほんとむかしいですよね。

    EVA のぶさんでした

  2. のぶさんこんにちは。

    そうですね。でも空っぽでいたいです。

    ことばだけでも癒されます。

  3. コメントをどうぞ                

    「これで、十分」‥

    つい、唸りますね。

    写真ですが、今度はカラーですね。
    華やかな緑の樹木と草花、しかも虹が浮かんでいます。
    つい私のなかの、作られた意識・感覚が反応しそうでした。

    おっとどっこい
    全景の草花、
    中景の若葉が清々しい一本の樹木、
    遠景の檜でしょうか、群生があり、
    そして水色の空に虹。

    総てが、各々の感覚を繋ぎ全体を形作る。

    美しい風景です。

    次の写真も、いかにもの真正面の風景、
    一見ありふれた風景です。
    でも、この境界の切実さはどうでしょう‥

    美しい写真です。

  4. 自分が眼を向けないものにこそ、見るべきものがある。

    バラに近づくとバラが消えフェンスが見える。遠ざかるとフェンスが消えバラが見える。

    このバラはフェンスと共に公園にある。そして私の前にある。

    私の写真には、事象すべての依存関係をそのままに表現したいという思いがあります。

    「総てが、各々の感覚を繋ぎ全体を形作る。」
    最高の言葉です。嬉しいです。ありがとう。

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