子供たちと過ごす3日間

明日から3日間、吉野郡内の商工会青年部が主催する「吉野キッズビジネス2010」が開催される。

これは、奈良県内の小学4,5,6年生を対象に、吉野の自然の中で、商いの基本を学び実践しよういとう試みで、今回で7回目になる。

他には、林業体験やカゴづくりなどの吉野地方ならではの自然体験も盛り込まれている。

この行事にかかるようになって4年、昨年からメインの講師として子供たちに商いや販売などを指導している。

子供のいない私は、子供が少し苦手でどう接して良いか分からず、昨年メインの講師の話があったときもずいぶんと考え込んでしまった。

どうしていいかわらず、重い心の私を、子供たちは暖かく迎えてくれた。

教えようとするから難しいことになる。

子供は導くだけで十分なのだ。

彼らは十分考える力がある。

私の思いを超えて、子供たちは、商いを理解し、実践する。

こちらの出す言葉が少なければ少ないほど、彼らは考える。

少しのヒントを与えれば、彼らはどんどんと想像をふくらませる。

時に楽しい脱線を繰り返す。

彼らは、小さな大人で、私は大きな子供なのだ。

子供たちから教えられることの方が遙かに大きい。

こちらが楽しめば、彼らも楽しむ。これでいいのだ。

道の駅での販売で、ひっしに売り込み子供たちの声を忘れない。

完売したときの子供たちの嬉しそうな顔が忘れなれない。
(売れ残りそうな商品は、そっと様子を見に来ていた子供たちの家族が買ってくれました)

明日から、上北山村、下北山村を舞台に子供たちとの時間が始まる。

心配なのは、私の体力だけか。

 

私たちは、自分の好きな人、愛する人の笑顔が見たくて、毎日、毎日行動しているのかもしれない。

子供たちのたくさんの笑顔を見ることができますように。

そして、私もたくさんの笑顔になろう。

ネイティヴ・スピリットとつながる会

昨日、友人が主催する”ネイティヴ・スピリットとつながる会”に参加してきました。

ゲストは、ポールワグナーさんという方で、北米のネイティヴの間では有名はミュージシャンです。

 

曇天の空が夕暮れに変わり、ロウソクの灯りが輝きを増すころにイベントが開始された。

長野から、京都から、様々な人が集まってくる。

木に包まれた月ヶ瀬・森の茶論は、神聖なそして暖かい空気に包まれいく。

 

ワグナーさんのフルートが響き始めると、記憶が遠く、遠くへと連れ去られる。

タルコフスキー、ヴェンダース、ジャームッシュの映像が浮かび、消え去る。

そして、もっと遠く、記憶は意識の果て、DNAの果てへと遡っていく。

 

 何かと繋がっているという感じを持つ。

そして、それはとても優しくて懐かしい。

 

私たちは、すべてネイティヴだということに気づく。

ただ忘れているだけなのだ。

私たちには、すべての生きとし生けるもの記憶が眠っている。

ワグナーさんの音を声を聞いていると、遠くの記憶が目を覚まそうとする。

自然を恐れ、畏敬し、自然と、天地の魂と共に生きていた、長い時代の記憶がゆっくりと目を覚ます。 

 

私たちは、新しいネイティヴになることが出来る。

遠い遠い記憶を呼び覚まし、感じることができれば。

未来の子供たちから、私たちはネイティヴですという言葉を聞きたい。

私たちは、未来の子供の記憶になろう。

 

スライドショーの写真はこの会を主催したPANAさんに捧げます。

心をこめて、いつもありがとう。

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ワグナーさんとを日本に招いて下さった うーたんさんのホームページです。

どうもありがとう。ハイチカ!

 

努力と諦めの間で

自分を諦めることは難しい。

努力と目標達成が生き甲斐であったころには。

がんばれ、がんばれと言われ続けていると、

努力しないことに罪悪感をもってしまう。

 

しかし、夢を追わない生き方もある。

頑張らない生き方もある。

一説には、「諦める」は「あからめる」で

明らかにするという意味があるという。

自分を明らかにするということは、

自分を諦める事かもしれない。

夢を捨ててはいけないという。

しかし、夢を諦めたときに見えてくる真実もある。

 

最近はどちらでも良いと思えるようになってきた。

どんな生き方も生き方だと思えるようになってきた。 

頑張ることも、諦めることも、共に大切なことなのだろう。

当たり前のことかもしれない。

その当たり前にやっと気づいた。

 

夢と目標とを持てず、ただなんとなく流れるように生きてきた私が

いつも自分で決めていたことが一つだけある。

それは、写真だと思う。

写真だけは、努力をしたことも、諦めたこともない。

ただ連綿と続いている。

好きなことというのは、こんなものかもしれない。

努力でもなく、諦めでもない世界を、浮遊するように生きていきたい。

 

晴れ間が出ると心が躍る。

光が好きなのだなとあらためて思う。