虹は無限の色

太陽の光をプリズムに当て、屈折させると虹を作り出すことができる。

私たちは虹の色は七色だと、なぜか思いこんでいる。

しかし実際に虹を見ると、そこには、無限の色を感じることが出来る。

光りは、無限の色が混ざり合って透明になっているのだ。

もしかしたら、私たちの「思考、心」もプリズムと同じかもしれない。

本当は、世界は、一つで透明な美しい世界なのかもしれないのに、

私たちの「思考、心」を通過すると、複雑で混沌とした様相を表すのだ。

プリズムによって分解された光りを、もう一度プリズムに通すと、もとの光りに戻る。

今、私たちに必要なのは、この複雑で混沌とした世界を、もう一度、元の「全体で透明な光り」にもどすプリズムかもしれない。

では、そのプリズムとは何か?

現在の私には答える言葉がない。

写真は、愛犬のエルクとウォータトライアルの練習中に見た、琵琶湖に架かる虹

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2冊の本 クリシュナジとシッタカブッタ

理解しようと思っても理解出来ない本や教えはたくさんある。

 門前まで行きながら、扉を叩きながら開かれない思想がある。

クリシュナムルティもその一人で、今まで何冊の本を買い、挫折してしてきたことか。

本棚を整理していて、ふっと手にした「自己の変容」は以前ほど私を排斥しない。

注意深く読んでいくと端々に思い当たることがある。

しかしこの本の内容、どこかで読んだことがある。

そうか、私の愛読書「シッタカブッタ」に書いてある内容と同じだ。

特に「ブッタとシッタカブッタ 3 なぁんでもないよ」に書かれていることとよく似ている。

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クリシュナムルティの難解な言葉を漫画にするとこうなるのか!

「自分を変えるためにほんとうに必要なことは何か」と「自己の変容」の帯に書かれている。

「なぁんでもないよ」と「ブッタとシッタカブッタ 3」の表紙に書かれている。

本の内容や質が自分を変えるわけでもない。

どう読むか。何を知るか。

考え込む前に、

そうか、お茶でも飲もう。

間にあるもの

都会と田舎の間には何があるのだろうかとフッと思う。

海と陸との間には何があるのだろうかと考えてみる。

右手と左手の間には何があるのだろうか。

喜びと苦しみの間には何があるのだろうか。

笑顔と泣き顔の間には何があるのだろう。

きっと答えは、「今」なのだろう。

今あること以外には何もない。

では、どのようにすれば「今在ること」を感じることができるのだろう。

それは、「手放すこと」

解ってはいるけれど、手放すことはいつも苦しい。

写真は、東吉野村宝蔵寺のしだれ桜

桜は咲き続けることが出来ない。だから一際美しい。

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