何度目の宇宙だろうか

もし現代の宇宙理論が正しければ、今の宇宙は膨張し続け、いずれ収縮へと向かう。

宇宙が卵より、針先よりも小さくなり、質量が無限大に成ったとき、ビッグバンを起こし、また膨張へと向かう。

私たちの肉体の寿命とはかけ離れた、あまりに広大な宇宙の営み。

その宇宙にまた大気が生まれ、文明が栄える。

私たちの宇宙は、およそ137億年前に生まれた。

私たちが今を生きている宇宙は、果たして何度目の宇宙なのだろう。

無限と思えるこの宇宙の営みの中で、今この瞬間を生かされている自分とはなんだろうか。

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この一瞬、この瞬間、私の見た朝の風景。

数億年の巡りの中での出会い。

「解ること」と「気づくこと」

今年の春先、
あるきっかけが与えられて、
今まで理解できなかったことの幾つかが、
一瞬に「腑に落ちる」という経験をした。

その時、あぁこれが「気づく」ことだなと思った。

解るということとは、どこか頭で理解している。
「わかっちゃいるけどやめられない」という感じ。

しかし、気づくというのは、心に入り込んでしまうので、
「一度気づいてしまったら」後戻りできない気がする。

解るということは、時間をかけて努力すれば達成できるかもしれない。

しかし気づくということは、また違うような気がする。

自分の魂が無意識に追い求めているものが、
何かのご褒美のように、
ふっと自分の心に投げ込まれる。
大きな存在からのプレゼントのようだ。

解るというのは、時間がかかるが
気づきは一瞬にやってくる。

人生の中で気づきを得ることはあまりないだろう。

今年の春先に得たものは、最初ささやかな気づきのような気がしたが、
時間を経て段々と大きな存在になっていった。

気づきはきっと、求めても得ることができないのだろう。
しかし、いつ気づきが与えられても良いような、そんな生き方をしていたいと思った。

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あそぶ布 高木康子個展

友人が奈良市内のギャラリーで個展を開いた。

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布を織り、裂き、紡ぐ。
心の赴くままに、思うままに、思いを超えて。

彼女の作る作品は、エネルギーに溢れ、既成の形を超える。

その布を纏う人にも、既成の形を超える覚悟がいる。

萩が美しく咲く階段を登り、ギャラリーにの扉を開けると
その片隅に遠く大分に住む友人の気配を色濃く感じた。

自在という言葉は彼女のために在るのかもしれない。

表現が遊びなのか、遊びが表現なのか。

原初のピュアなエネルギーがある。

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ライフギャラリーアン・ドゥ http://web1.kcn.jp/undeux/
奈良市帝塚山の閑静な住宅街にあります。
このアン・ドゥはオーナーがとても素敵です。

オーナーのセンスの良さが隅々にまで行き届いたギャラリーです。

私も表現するものがあるなら、是非このギャラリーでと思うことがあります。