ある方と「嘆異抄」の話をしていて、別れてから「妙好人」のお話をし忘れていた事に気づいた。
「妙好」とは、「白蓮華」を意味する言葉で、泥の中から美しい華を咲かせる蓮に例えて、清らかで美しい信心をもつ信徒を「妙好人」と呼ぶ。
浄土真宗の教えをとことん突き詰め、禅の言葉でいえば「悟り」を開いた人達の事である。
浄土真宗の信心世界の到達点であり、具現者である。
妙好人の記録は、江戸後期から明治に多く、職業も農民から船大工など一在家信徒である。
彼らの残した言葉は深く、もし機会があれば是非触れて頂きたいと思う。
何も修行をした出家や禅僧が悟るのではなく、本当の信仰の境地は、市井の人々によって具現されたことが「妙好人」を通じて知ることが出来る。
文字を読むことの出来ない百姓が、他力の信仰を深めていく過程で、素晴らしい境地に至る。これはどんな出家も学者が容易に至れる世界では無い。
最近相田みつおさんが脚光を浴び、よく似た言葉や書を目にする機会があるが、日本には、名も無き市井に優れた信仰者を生み出した歴史がある。
彼らの残した言葉は、どこまでも深くそして潔い。彼らは名もない人生をただ愚直に生きたに過ぎない。「愚直」今の私から最も遠い生き方のような気がする。