花火

土曜日に大淀町の花火大会が開催されました。

我が家の窓から遠くですが、楽しむことが出来ました。

花火の撮影は難しそうですが、デジタルカメラでも簡単に撮影することできます。

花火

きっちりとした花火の写真を撮るには、まず三脚に固定します。

そしてシャッタースピードを長時間露光(1~8秒)くらいで設定して撮影します。
最近のデジカメでしたら、花火モードや夜景モードに設定すると綺麗に撮影できます。

下の写真は、デジカメを夜景モードにして、三脚に付けずにわざとブラした写真です。

花火2

不思議な花火が撮影できます。

従来失せず

「従来失せず、なんぞ追尋(ついじん)を用いん」

という言葉が「十牛図」の一番最初にある。

「十牛図」は、牛を探し、見つけ、飼いならすまでを、10枚の絵に現した、禅の教えである。

もちろん、牛とは自己のことである。

自己を求め、発見し、理解し、そして開放する。その流れが分かりやすく説明されている。

私は、この「十牛図」の冒頭の言葉が好きだ。

私たちは何も失っていないのに、いつも何かを捜し求めている.
探しているから見つけなければならない。

私たちは、過不足のない生活に我慢できないのかもしれない。

自分の現実を薄く薄くスライスしていくと、そこには「今」がある。
この「今」はどんな状況でも、充足していると感じることができる。

現実に、過去と未来という不純物がプラスされると、そこに過不足が生まれるようだ。

現実だけを見据えて生きるというのは、とてつもなく難しいことのようだ。

「従来失せず。 」ほんとうにそうだと思う。

何も失っていないのに、私は、いったい何を探しているのだろう。

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ちくま文庫から出ている「十牛図」の本。

萱簾(かやす)

萱でつくられた簾。細く繊細で美しい。

この萱簾は、宇陀手漉き和紙の名人、福西弘行が、紙を漉くときに使う道具である。

この萱簾を作れる職人はもうほとんどいない。

四国にいる職人さんに頼んで特別に作ってもらっている。
この職人さんに後継者はいない。

もしこの萱簾がなくなれば、繊細な和紙が漉けなくなると福西さんが言う。

名人の技を支える名人の技。伝統は連鎖している。
伝統を守ることはアグレッシブで過酷なことだと思う。

しっかりと腰を据えて、覚悟を決めて伝統を語らなければ、美しい国を作ることは出来ない。

萱簾