従来失せず

「従来失せず、なんぞ追尋(ついじん)を用いん」

という言葉が「十牛図」の一番最初にある。

「十牛図」は、牛を探し、見つけ、飼いならすまでを、10枚の絵に現した、禅の教えである。

もちろん、牛とは自己のことである。

自己を求め、発見し、理解し、そして開放する。その流れが分かりやすく説明されている。

私は、この「十牛図」の冒頭の言葉が好きだ。

私たちは何も失っていないのに、いつも何かを捜し求めている.
探しているから見つけなければならない。

私たちは、過不足のない生活に我慢できないのかもしれない。

自分の現実を薄く薄くスライスしていくと、そこには「今」がある。
この「今」はどんな状況でも、充足していると感じることができる。

現実に、過去と未来という不純物がプラスされると、そこに過不足が生まれるようだ。

現実だけを見据えて生きるというのは、とてつもなく難しいことのようだ。

「従来失せず。 」ほんとうにそうだと思う。

何も失っていないのに、私は、いったい何を探しているのだろう。

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ちくま文庫から出ている「十牛図」の本。

“従来失せず” への2件の返信

  1. コメントありがとうございます。
    ほんとうに遠い存在ですね。
    ゆっくり、ゆっくり、自分と和解していきたいですね。

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