里の家

私は大阪で生まれ育ったので、花木に囲まれたふるさとを持たない.

大阪の下町の狭い路地を抜けている夢を見ることがある。
いつもの道を歩いていると小さな小川が流れ、岸に黄色い花の咲く優しい風景に出会う。
よく知っているようで、知らない、既視感のある風景だ。

実際には眼にしたことのない風景かもしれないし、早春に東北を旅したときの風景かもしれない。

この夢を見るとき、私は小学生の格好をいていることが多い。
もしかしたら私の原風景かもしれない。

カメラを持って歩いていると、ふっと懐かしいと感じる景色に出会う。

私は住んでいたこともない景色を懐かしいと感じ、シャッターを押す。

 陶淵明の「桃花源記」が好きで、この話を読むたびに、一度桃源郷を訪れてみたいと思う。

人はその心の深部に、それぞれの桃源郷を持っているのだろう。

それが時々夢の姿を借りて、少し荒んだ現実を慰めに現れてくれるのかもしれない。

花の家

一陽来復

日が長くなり、犬の散歩も暖かく、たそがれ時に歩くと、景色も変わってまた楽しい。

小さな公園の桜がちらほらと咲きかけていた。冬に力を蓄えた桜の蕾は、どことなく力強く、内側からエネルギーを発散させている感じがした。

易経に一陽来復ということばがあるが、「冬が終わって春になる意や、逆境・不運など よくない事が続いた後 ようやく幸運が向いて来る意にも用いられる」という意味のようだ。

夕暮れに桜の花を見ていると、なぜか優しい気持ちになれる。楽しいことが起こりそうな気がする。いつもより薄着で過ごせる嬉しさかもしれない。

一陽来復、桜の蕾を見ていてこの言葉を思い出した。

公園の桜

ゆきやなぎ

東吉野村から大淀町へ引っ越して、犬達との散歩の風景も随分と変わった。

冷え込みの厳しい東吉野では、桜は、春の訪れを告げてくれる嬉しい花だ。

「あの山の麓の桜が一番に咲き、あの谷の桜が最後に咲く。そしてその頃には、ウグイが産卵する。だからあの桜をウグイつき桜と言うんだよ。」と老人が教えてくれた。

山に点々と咲く桜に混じってこぶしの花も咲く。私はここに居ますよというように、美しい花を咲かせる。

毎年同じように花が咲き、人は一つずつ老いてゆく。何も変わらないようで、すべてが変わっていく。

住宅街でも大淀町は自然が残っていて、散歩の道すがら誰が植えたのか、ゆきやなぎが咲いていた。

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早く花が咲けば良いのにと思い、咲けば散らないで欲しいと思う。

この矛盾した思いに、無常という言葉を重ねる。

最近は、咲く花よりも散る花に心が動く。