努力と諦めの間で

自分を諦めることは難しい。

努力と目標達成が生き甲斐であったころには。

がんばれ、がんばれと言われ続けていると、

努力しないことに罪悪感をもってしまう。

 

しかし、夢を追わない生き方もある。

頑張らない生き方もある。

一説には、「諦める」は「あからめる」で

明らかにするという意味があるという。

自分を明らかにするということは、

自分を諦める事かもしれない。

夢を捨ててはいけないという。

しかし、夢を諦めたときに見えてくる真実もある。

 

最近はどちらでも良いと思えるようになってきた。

どんな生き方も生き方だと思えるようになってきた。 

頑張ることも、諦めることも、共に大切なことなのだろう。

当たり前のことかもしれない。

その当たり前にやっと気づいた。

 

夢と目標とを持てず、ただなんとなく流れるように生きてきた私が

いつも自分で決めていたことが一つだけある。

それは、写真だと思う。

写真だけは、努力をしたことも、諦めたこともない。

ただ連綿と続いている。

好きなことというのは、こんなものかもしれない。

努力でもなく、諦めでもない世界を、浮遊するように生きていきたい。

 

晴れ間が出ると心が躍る。

光が好きなのだなとあらためて思う。

薄れゆく言葉

カメラを持つ時間が増えると

言葉が薄れていく。

考える時間の

何十倍も

感じていたい。

すべての言葉が消えて

感覚だけになった

自分を想像する。

それは初め海だった

「それは初め海だった。」

OSHOが老子について書いている本の中に出てきた言葉。

 

仕事で行き詰まっていた私に

今朝届いた最高のギフト

気づきを深め、静けさへと導いてくれる魔法の言葉。

 

「それは初め海だった。」

なんて美しい言葉だろう。

 

海は太陽の光を受けて、水蒸気となり雲となり、雨となる。

雨は大地に染み込み、穀物を樹木を育む。

生き物たちは、草を食べ、生き物を食べ、また地へと戻っていく。

地に染み込んだ雨は、源流となり、川となり、土地を肥沃にし、また海へと還っていく。

海であることも、木々であることも、生き物であることも

空であることも、蓮の花であることも、

私であることも、あなたであることも

何も違わない。

 

「それは初め海っだ。」

この言葉をつぶやくと、

一瞬で私と世界が一つになる。

一瞬で世界が私のものになる。

雨にピントを合わせる。