夏芙蓉

夏芙蓉、オリュウノオバ、高貴な汚れた血、そして路地。

夏の日差しの中に咲く芙蓉を見ると、中上健二の世界が過剰に想起される。

光当たる場所から見る路地の闇の世界。

路地の中で濃厚に繰り広げられる生と性と若者の死。

世界が白々とした明るさを持つほどに、他界としての路地は暗さを増す。

夏の強い光が、濃い影を生み出すように。

新宮にあったこの路地が更地になり、新しいビルが建つように、この国から多くの路地が消えていった。

路地の闇が消えていくほどに、人の心の闇が増えていくような気がする。

世界が平坦に美しくなるほどに、私たちは息苦しくなるのかもしれない。

人が生きるというその根底には、得たいの知れない渦巻くエネルギーが在るのだろう。

中上健二の「千年の愉楽」には、私たちが忘れてはいけない、生き物としての人の在りようが書かれている。

「オリュウノオバは霊魂のオリュウノオバにむかって、いつも床に臥ったままになってから身辺の世話や食事の世話をしてくれる路地の何人もの女らに訊かれて答えるように言って、霊魂のオリュウノオバが風にふわりと舞い、浜伝いに船が一隻引き上げられた方に行くのを見ていまさらながら何もかもが愉快だと思うのだった。オリュウノオバは自由だった。見ようと思えば何もかも見えたし耳にしようと思えば天からの自分を迎えにくる御人らの奏でる楽の音さえもそれがはるか彼方、輪廻の波の向うのものだったとしても聴く事は出来た。」
中上健二「千年の愉楽」

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“夏芙蓉” への4件の返信

  1. ゆたさんこんにちは。
    夢に出てきた風景に出会うことがありますね。
    夢に出てきた人と出会うことはないけれど。

  2. 訪れたところで〈地の霊〉に侵食される必要があったそして
    反比例するように人影の希薄と同時に濃密な空気の存在(鈴城将文の言葉を借りて)

    携帯では限度があるのか、フレームの全体は見れていないのかもしれません。
    先にあった薄暗い階段、と絡む植物、
    細部は見ることは出来ないのですが、感じは強いものでした。

    そしてここの、見るものをそこに連れ出さんばかりの風景と花

    森から眺める明るみとしての白・水色

    そして雲なのだがと思う、漂う二つと植物。

    知らない内に中上健二が頭から離れず、自然と地図を見る…

    新宮、隣が熊野でそして尾鷲。

  3. トンネルを見ると鈴木清順のツィゴイネルワイゼンを思い出します。
    熊野、尾鷲、新宮 いずれも強い気の力を感じる場所です。

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