コダクロームの憂鬱

コダクロームの現像が中止になるというニュースを読んだ。

もう20年以上も使ったことのないフィルム。

最近はデジタルカメラでの撮影が多く、その存在さへ記憶の彼方に消えていたのに。

もうコダクロームで撮影出来ないという思いが、ものすごい欠如感を伴って去来する。

失ったものは大きい。

 

あの発色。深み。

暗部の中にさへ階調を伴い、白い雲さへ、豊かなグラデーションを演出する。

物質の奥へ、風景の深部へと見るものを誘う。

一度だけ、叶わないと知りながら、一度だけでいい

10本のコダクロームKRを持って旅に出たい。

知らない瀬戸内の町を、少し重みのあるニコンF3Pと歩いてみたい。

レンズは、50mmを1本だけ。

斜光の美しい漁港で、こころ行くまで、ファインダーを見ていたい。

ゆっくりとレバーを巻き上げる。

パトローネからフィルムが巻き取られる感覚。

絞りのリングを半分動かそう。

KRはオーバーに弱いから。

しかしシャドウは絶対に潰せない。

ぎりぎりに露出を切りつめる。

カメラと光と風景とフィルムが一つになる至高の瞬間。

シャッターが切れ、ミラーがあがる。

ファインダーが一瞬暗くなり、微かなショックが腕に伝わる。

カメラから目を離すと、きっと浜風と海鳥の声が聞こえてくるだろう。

切り取られた風景は、記憶より、なお鮮やかに、コダクロームに刻まれる。

デジタルカメラでは絶対に味わえないものを、また失ってしまった。

 

20090301-DSC04920-Edit DSC-R1 (53.2mm, f/5.6, ISO160)

“コダクロームの憂鬱” への3件の返信

  1. コメントをどうぞ                

    私が憶えているのは、なんと35年程前使った事。

    しかも、それは摩周湖と摩周岳の間で見かけた白樺を撮ったポジフィルム。

    フィルムの表面を繊細な彫刻刀で彫ったような凹凸感に唸りました。

    この何でもない風景ですが、そこに在る以上に‥
    見飽きないですね〜。

  2. むかし、ポール・サイモンが好きでよく聴いていました

    kodakhrome” あれ、スペルちがうかな?

    という曲がありました

    恋の歌だったと思います

  3. こんにちは。この曲を知らなかったのですが、コダクロームの事を歌っているようですね。日本語のタイトルが「僕のコダクローム」と言うらしいです。
    youtubeでポールサイモンのkodachromeを聞きました。とても明るいポップな曲ですね。

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