吉野に住んでいても、樹齢200年以上、目通りで直径2mを超える杉に出会えることはまずない。
しかし川上村には、大径木の木が存在している。
ケヤキなど雑木の古木を見た時に感じる生命感のようなものとは違う、
潔さのようなものが感じられる。
人工林として植林され、気の遠くなるような時間と、人の思いを経た木の厳かさがある。
朝の光に立つ杉に、木漏れ日が美しい。
木目の通り方、色つや、香りが古来より日本人に愛されてきたのだろう。
泰然自若としたその立ち姿が素晴らしい。
日本人が求めた、人の心のありように似ているような気がした。
一度行ってみたいですね。
この木をゆっくり眺めながら、自分がどれだけちっぽけな存在なのか感じたいです。
偉い人、馬鹿な人。
金持ちか、貧乏か。
好かれてる、嫌われている。
どれほど小さい話なのでしょうか。
私たちは相対の世界に生きている。
しかしその相対の世界を絶対だと思っている。
過去と未来は相対の中にあって、
今は、絶対の中にある。
だから今を生きるのは難しい。
一緒にこの杉を見に行きましょう。
一度中判のカメラで撮影してみたい。