こころでからだの声を聴く

年末から多くのことが一度に起こり、1月の末になるのに、まだ生活のリズムが掴めない。

相棒のサテが腰痛を起こして、日課の散歩に行けないのが原因かもしれない。

 

今日は朝から雪が降ってきたので、一人で散歩に出かけてみた。

遠くに見る雪ほどゆっくりと舞い降り、近くの雪ほど素早く私の前を通り過ぎる。

こんな当たり前のことが楽しくて、少しの間、雪を見ていた。

 

心が静かになってきて、手足の冷たさが伝わる。

今日久しぶりに、身体の声を聴いたような気がする。

足が地面の土を感じ、冷たさを伝える。

顔が風を感じる。

この冷たさが、寒さが心地良い。

 

家に戻って、書棚から「こころでからだの声を聴く」というOSHOの本を取り出す。

パラパラと本を斜め読みする。

OSHOからのメッセージが届く。

 

そうか、この数日、私は、こころに身体を従わせようとしていたことに気づく。

仕事が忙しいとき、用事が重なるときにはいつも、こころで身体を従わせようとする。

身体が悲鳴を上げているのに、そこの声を聴かずに、心の思いを身体に届けようとする。 

 

食べたくないときに食べ、眠りたくないときに眠る。

休みたいときに、仕事をする。

 

またしても、身体が自然の一部であるということを忘れていた。

ビオダンサに行くと、いつもこのことを思い出すのに。

 

私は自分の心に語りかけるように、自分の身体に語りかけなければいけない。

こころの声を聴くように、身体の声を聴かなければと思う。

 

「こころでからだの声を聴く」

OSHOの言葉が疲れた身体に染み込んでくる。

OSHOの言葉を違う切り口から味わうことの出来る本です。