小さな農機具小屋に展示された自分の写真を見ながら一日を過ごした。
黄砂で覆われた空は、空全体がディフューザーのようで光の煙幕に覆われていた。
男4人、時計ストーブにあたりながら、あてどもない話をした。
ただ時間が過ぎていく感覚が心地良かった。
だれも格好の良いアイデンティティなんかを求めていなくて、とてもリラックスしていた。
話が途切れると、煙突から出る煙を見たり、コスモスを見て過ごした。
ヒビノカケラ展の写真を準備しながら、何かが終わっていくのを感じていた。
壁に並べられた自分の写真は、きっちりと自分が表現されていて心地よかった。
写真から感じる軽やかさが自分の求めていたものだ。
写真を撮ることで、私は自由を求めていた。
束縛のない感性を得たいと思っていた。
そのことに一つの区切りがついたのかもしれない。
これ以上に求めることの難しさを感じたのかもしれない。
私の中の何が終わるのだろう。
それが何かは分からないのだけれど、
終わって行くという感覚は、結晶のように残っている。
若いころ、終わることは始まることだったような気がしていた。
始まることのない、終わりとは何だろう。
始まりと終わりの間には、何があるのだろう。
展示の終わった写真を片付けながらそんなことを考えていた。
ノブさんの世界とみっちゃんの世界が融合しているような感じがして、
心の奥底が騒ぎました。
私も行って、実際に味わいたかったです。
私たちの思いがひとつずつ形になっていく…その様を見て嬉しく思いました。
何はともあれ、お疲れ様でした。
いつもありがとう。
緩やかな風と朧気な光に包まれた素敵な写真展でした。
みんなの思いが一つずつ、形になっていくようで嬉しいです。