蜩の声

今日仕事の関係で、吉野川の河原に車を止めた。

夏草の生い茂るなかに小さい赤い花が咲いていた。

 

カメラを持つと様々なことが目にとまり、心に響く。

普段感じることのできない、ささやかなもの、何気ないものが声を掛けてくる。

心に触れたものがあると、その瞬間、心の中をのぞき、その感じたものを味わう。

そしてその感じをきるだけ損なわないように写真を撮る。

 

私の写真に特別なものはいらない。

しかし、そこに写っているのは、すべてかけがえのないものばかりだ。

 

河原の写真を見ていると微かに秋を感じる。

草が、花が、季節の移り変わりを教えてくれる。

 

昨日の雨の影響か、今日の夕暮れは少し涼しい風が吹いていた。

蜩の鳴く声が夕暮れの光に紛れていく。

ふかくこの生を愛すべし

先日の日曜美術館で會津八一が紹介されていた。    

會津八一は、奈良を愛した歌人で、号を秋艸道人という。    

私の友人が、八一の書と歌を好み、彼に導かれて、奈良へ歌碑を見に出かけたりした。    

仏像や歴史に興味の無かった私と、奈良を結びつけたのは八一の歌かもしれない。    

豪放磊落で、孤高の存在であった八一の残した歌は、外見とは正反対で、繊細で美しく、細やかな感性に溢れていた。    

八一の歌に読まれた仏像や仏閣を見て回る内に、八一を好きになり、奈良を好きになったのかもしれない。    

その會津八一が弟子や学生たちの規範のために「学規」を作成している。        

学規    

ふかくこの生を愛すへし
 かへりみて己を知るへし
 学芸を以て性を養うへし
 日々新面目あるへし   
     

どれも素晴らしい言葉で、学問はすべて自分で知り、経験する必要があるとし、「実学」を説いた八一らしい内容だ。    

とくに「ふかくこの生を愛すへし」に感動する。    

「ふかくこの生を愛すへし」は、生きることの基本かもしれない。    

学問、美術、仕事のすべての根底にこの言葉があれば、大きくブレることも無いような気がする。    

ふかくこの生を愛した人は、また深く人を愛することができるのだろう。    

     

八一はよく「破門」という言葉を口にしたようだ。    

でも弟子たちは彼から離れていくことは無かった。    

 八一の思いが深く弟子や学生たちに届いてからだろう。   

    

愛されるのが仕事の我が家の犬たち   

しみじみ可愛い梅ちゃん   

 

   

 

     

渋く素敵なサテさん