下町を歩く

私は大阪の下町で生れ育った。

炎天下、生れ育った場所をゆっくりと歩いた。

夢遊病者のように、ただ漫然と町を歩くいた。

汗だくになりながら。

見慣れた光景、変わってしまった町並み。

消えた人影。

それぞれに、複雑な思いが交錯する。

触れたくない時代、語りたくない言葉の幾つか。

引っ越しをする度に、大阪から遠い場所、遠いところへと移っていった。

私にとって、生まれ故郷とはなんなのだろうか。

 

偶然の休日

思いがけない偶然が重なって、お気に入りのPEACE PEACE PEASEで友人たちとゆっくりと写真の話をした。

会いたいという気持ちは通じるようで、忙しい合間にポッカリと時間が空く。

お気に入りの店で、大好きな人たちと話をした。それもとびっきりの写真の話を。

 

写真の話には、このお店の美味しい珈琲が似合うような気がする。

PEACEさんで写真の話をする会でもしたいなと思う。

いつも励ましてくれる友人夫婦と、とても美味しいマンデリンを淹れて下さるオーナーに心から感謝します。

 

違和感

先日の蓮華の花の写真を眺めていて、どこか違和感を感じる。

見れば見るほど、この違和感がとげのように痛み出す。

自分で撮影したような気がしない。

どこか人の目で撮影したような写真だ。

 

今日、もう一度、蓮華畑を訪ねた。

ゆっくりと眺めていると、やはり美しい。

ここで自分の光を見よう。

人の光ではない、自分だけの世界を。

  

ゆっくりと息を吐きながら、静かに歩く。

少しづつ世界が自分に近づいてくる。

自分が純粋に世界と向かい合うとき、

自分の内にスペースが生れる。

このスペースは豊で限りがなく、静かで暖かい。

人が来れば温かく迎え、

人が去れば優しく見送ることの出来るスペース。

そのようなスペースと出会いたくて、カメラを持っているのだけれど、まだまだ迷いが多い。

蓮のように圧倒的な美しさを目の当たりにすると、どうしても見えなくなってしまう。

まぁ、いいか。心は喜んでいるのだから。