いつもの道

いつもの道をいつもの犬達と歩くしあわせ。

しかし少し冷静に考えると「いつも」などないことに気付く。

昨日より今日は確実に死に近く、別れに近い。

そして出会いに近く、誕生に近い。

丁寧に生きるということは、一瞬を生きるということ。

この瞬間の素晴らしさを味わうことが、未来に怯え、過去を悔やむ自分を解き放す。

ゆっくりと眺め、耳を澄まし、感覚にこころを傾ける。

今朝は晴天。光りが満ち溢れている。

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いつもの道を歩きながら、いつもの犬達と、いつものように歩けるしあわせを思う。

光り降る日

数日前、冬の前触れのような雲が空を覆った。
その重く厚い雲の隙間から、陽光が溢れている。

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光りの降る光景を見ていると、この光りから降り立ち、この光りを登る魂があるような気がした。

昨日、友人が可愛がっていた犬が2匹、寿命を生きてこの世を去っていった。

彼らは光りを登って天に召されたような気がする。

エゴのない無垢な彼らの魂は軽いから、ふわふわと光りを登っていったことでしょう。
でも少しは寄り道をしたかな?

本当に、本当にありがとう。
 

碧空の尽きる場所

秋は空が高く雲一つない日がある。

李白の詩に

『故人西の方 黄鶴楼を辞し
煙花三月 揚州に下る
孤帆遠影 碧空に尽き
唯見る 長江の天際に流るるを』
というのがある。

秋、雲一つない空を見ていると、いつもこの詩が思い出される。

碧空の尽きる場所とはどんなところだろう。

この日は、雲一つない晴天

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夕方まで雲を見ることが無かった。

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